🔥【江戸のロマン】築地市場跡地に眠る「幻の庭園・浴恩園」!松平定信の意外な素顔に迫る世紀の大発掘調査へ

2018年に閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に、江戸時代の大老中として知られる松平定信(1758~1829年)が築いたとされる「幻の庭園・浴恩園(よくおんえん)」が埋もれているというニュースは、歴史ファンや都民の間で大きな話題を呼んでいます。数十年にわたり地下深くに眠り続けてきたこの庭園を、東京都などは2020年東京オリンピック・パラリンピック後の再開発に合わせて、初めて本格的に発掘調査することを検討しているのです。

「浴恩園」の再発見と、その実態解明に向けた期待は高まる一方です。松平定信といえば、「質素倹約」を掲げた厳しい「寛政の改革」を断行した人物として知られていますから、彼が屋敷にどのような庭園を造っていたのかは、彼の人間像を読み解く上で非常に興味深い点だといえるでしょう。SNSでも「質素倹約の定信が、豪華な庭を作っていたら面白い」「ロマンがある」「市場の歴史だけでなく、江戸の歴史も掘り起こされるのか」といった反響が寄せられており、この発掘調査への関心の高さがうかがえます。

築地一帯は江戸時代に海を埋め立てて造成され、多くの大名屋敷や寺院が立ち並ぶ場所でした。定信は自らの屋敷の中心部に池を配した庭園を築造しました。古文書などの記録によれば、この庭園はなんと海水を導入し、潮の満ち引きによってその景観が変化するという、非常に凝った「潮入りの池」だったと推測されています。しかしながら、1829年に発生した江戸の大火によって屋敷は被災し、池の部分だけがかろうじて残ったといわれています。

その後、明治時代に入ると海軍がこの土地を利用し、1923年の関東大震災を経て、中央卸売市場の建設計画が持ち上がることになります。そして1935年、ついに築地市場が開場を迎えました。東京都の担当者によると、市場建設の際に池は埋め立てられたようですが、その詳しい経緯や手法は定かではないとのことです。長い歴史の中で姿を消したこの庭園が、今、再び日の目を見ようとしているのです。

市場は昨年(2018年)、豊洲(江東区)への移転を完了し、広大な約23ヘクタールの跡地が残されました。東京都はオリンピック期間中にこの跡地を駐車場として一時的に活用した後、2040年代にかけて国際会議場などを段階的に整備していく方針を打ち出しています。これに先行して中央区が試験的な掘削(試掘)を行い、庭園の遺構が発見されれば、東京都による本格的な発掘調査へと移行する見通しです。

この「浴恩園」の実像を伝える資料は非常に少ないため、調査への注目度は非常に高いものとなっています。中央区の担当者は、「『質素倹約』を旨とした改革を断行した定信が、その庭も質素に造ったのか、それとも大名としての威厳を示すために豪華に見せたのか、その謎が解明されれば、定信という人物の意外な一面に迫ることができるでしょう」と、期待を寄せています。歴史の教科書だけでは分からない、松平定信の「人間的な側面」が明らかになるかもしれません。

しかしながら、発掘調査は長期化する可能性も指摘されています。近隣の「旧国鉄汐留駅跡」(港区)での区画整理に伴う発掘調査では、仙台藩・伊達家の上屋敷などの重要な遺跡が発見されましたが、試掘から調査完了までに約11年もの歳月を要しました。関係者の間では、「今回も同じくらいの期間がかかるのではないか」との予測が出ています。

費用もまた膨大なものになる見込みです。発掘作業に加え、再開発を進めるための土壌調査や汚染物質の除去作業なども含めると、東京都は総額で200億円に上ると試算しているのです。これは大変な額ですが、日本の歴史を紐解く上で重要な発見となるならば、私はその費用を投じる価値は十分にあると考えます。たとえ貴重な遺構が出土したとしても、ここは都心の一等地であるため、全面的な保存は難しいのが現実です。

早稲田大学の谷川章雄教授(近世考古学)は、「池に海水を引き込んでいた導水路の部分など、庭園の実態解明につながる決定的な手がかりが見つかれば、それは大きな発見になるでしょう」と語っています。今後は、発掘の成果をどのような形で保存し、どのように都民や一般の人々と共有していくのかが、重要な検討課題となっていきます。単に開発を優先するだけでなく、歴史的な遺産を未来にどう伝えていくか、東京都の知恵が試されるでしょう。

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