2019年6月5日、再び厚生労働省を分割すべきだという議論が浮上しています。この背景には、厚労省が所管する法律案や予算の規模が拡大し、一人の大臣でその全てを担うのは困難ではないか、という見方があるようです。実際、2016年5月に自民党がまとめた提言でも、厚労省分割論が取り沙汰されました。例えば、2015年通常国会における政務三役(大臣、副大臣、政務官)の国会答弁回数は、厚労省が3,584回と、次に多い外務省の2,086回を大幅に上回り、提出法案数も他省庁より多い状況でした。このデータが示すように、業務量の多さは喫緊の課題といえるでしょう。
実は以前にも厚労省分割が検討された経緯があります。2008年8月、福田内閣は年金記録問題などの不祥事を機に「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」を設置し、組織の根本的な見直しを議論しました。この懇談会が2009年3月にまとめた最終報告では、大臣の統治(ガバナンス)強化や、局の垣根を超えた取り組みを可能にする政策統括官組織の強化などが提言されました。報告直後に分割案も検討されましたが、幼保一元化(幼稚園と保育園の管轄を一つにすること)に関する調整がつかず、結局、分割は見送られたのです。このことから、組織を分けることの難しさがうかがえます。
その後も、高齢化の進行に伴う社会保障給付の増加を主因として、厚労省の予算は増え続けています。年金や労働保険などを扱う特別会計の規模も非常に大きいことが特徴です。一方で、厚労省全体の予算定員は減少傾向にありますが、政策立案の中核である本省の内部部局の定員は2009年度の3,240人から2017年度には3,590人へと増加しています。また、局をまたがる政策に取り組む政策統括官の体制を一本化したり、医務技監という次官級のポストを新設するなど、機構改革も進められてきました。これらの動きは、前述の懇談会提言に沿って、組織の統治や政策立案能力の強化が図られてきた結果だと評価できます。
しかし、ここで立ち止まって考えるべきは、旧厚生省部局と旧労働省部局にまたがる今日の重要課題の存在です。例えば、年金をもらいながら働く高齢者の年金給付を減額する在職老齢年金制度の改革と、高齢者就労の促進は、年金と就労に密接に関わるテーマです。また、最低賃金の引き上げに伴う失業の増減と生活保護給付の関係、あるいは兼業・副業を推進する上での社会保険の仕組みとの連携は、賃金・生活保護、そして労働基準監督・社会保障制度という複数の領域にまたがる政策課題です。このように、旧厚生省と旧労働省が連携しなければ解決できない課題が山積している現状を踏まえると、私は**「今すぐの分割は得策ではない」という意見に賛成です。むしろ、両部局がより緊密に連携**することが求められるでしょう。
統計不正問題からの教訓:EBPMで政策を進化させる
連携強化が必須とはいえ、厚労省が抱える問題がないわけではありません。大臣官房から統計調査部を分離し、新たに統計・情報政策担当の政策統括官を設けたにもかかわらず、その後に毎月勤労統計の不正調査が発覚し、その対応の不備が厳しく指摘されました。これは統計軽視と受け取られても仕方がない状況でした。この問題こそ、今後の旧厚生省部局と旧労働省部局の連携を改善するための活路になると私は考えます。
政府全体で推進されているEBPM(Evidence-Based Policy Making:実証結果に基づく政策立案)は、厚労省こそが先駆者となるべき取り組みです。社会保障と労働の分野は、まさにビッグデータの宝庫だからです。医療のレセプト(診療報酬明細書)データや介護給付費明細書、年金の記録といった膨大なデータに加え、労働分野にも賃金や労働時間に関するデータが豊富にあります。これらを厳密に保秘しつつ、政策立案に積極的に活用すべきでしょう。特に、前述したような旧厚生省と旧労働省の連携が不可欠な政策課題には、データに基づいた分析が大いに貢献するはずです。
例えば、在職老齢年金制度が高齢者就労を妨げているという指摘は直感的ですが、学術的な明確な根拠はまだありません。だからこそ、データを用いて、年金給付減額が高齢就労者の労働時間にどのような影響を与えたのかを分析し、制度改革の必要性を議論するエビデンス(証拠)とすべきです。また、最低賃金の引き上げについても同様です。引き上げによる低賃金労働者の所得増加効果と、一時的な失業者の増加という二つの側面について、外国の事例だけではなく、日本の労働市場の実情に合わせた国内データを用いた分析が不可欠です。もし失業者が増えるなら、それに伴う失業手当や生活保護給付のあり方も併せて検討する必要があるでしょう。
EBPMを成功させるには、結論ありきや前例踏襲ではうまくいきません。客観的なデータ分析に裏打ちされたエビデンスを、予断なく評価できる姿勢が何よりも大切です。一方で、かつての懇談会報告書が指摘するように、「百点満点主義に陥ることなく、スピード感を持って、『走りながら考える』『走り出す勇気』も必要だ」という考え方も重要でしょう。現在の厚労省が関わる政策課題の多さを考えれば、省を分割するよりも、EBPMの推進と、統計を媒介とした旧部局間の連携強化こそが、喫緊に取り組むべき課題だと結論付けられます。もし、国会審議で大臣一人では対応が困難という理由であれば、担当大臣をもう一人増やすといった、より現実的な方法で対処が可能だと考えられるでしょう。
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