2013年04月01日、埼玉県を中心に躍進を続けるスーパーマーケット「ヤオコー」において、大きな転換点が訪れました。当時37歳という若さで、川野幸夫会長の次男である澄人氏が社長の座を引き継いだのです。この一見すると大胆な抜擢は、実は2000年代初頭から会長とその実弟、そして経営企画室長が三人で慎重に協議を重ねて作り上げた「後継計画」に基づいたものでした。当初のスケジュール通りにバトンが渡された背景には、同社が着実に成長を遂げてきたという揺るぎない事実が存在しています。
新社長となった澄人氏は、2001年04月01日の入社以来、実に徹底した教育プログラムを経てきました。これは「キャリアデベロップメントプラン」と呼ばれるもので、社員が自身の職能を段階的に高めていくための長期的な育成指針を指します。まずは経営企画室で会社全体の俯瞰的な視点を養い、その後は現場での店舗勤務を経験しました。担当者から始まり、主任、店長といった役職を一つずつ完遂することで、小売業の現場感覚を肌で覚えることが重要視されたわけです。
現場主義を貫く徹底した育成の道のり
現場での修練を終えた後は、商品部においてバイヤーやグロッサリー部門の責任者を歴任しました。バイヤーとは、商品の買い付けから価格設定、販売戦略までを担う「商売の要」とも言える専門職です。こうした一連の育成プロセスは、会長自身ではなく、あえて実弟に全てを一任したといいます。そこには、息子に自分の人生を自由に歩んでほしいと願う、一人の父親としての葛藤と配慮がありました。かつて自分自身が親に本音を言えず悩んだ経験が、こうした放任主義に繋がったのかもしれません。
振り返れば、会長は仕事に没頭するあまり、家庭のことはすべて妻に任せきりだったと吐露しています。子供たちと旅行に出かけたり、膝を突き合わせて語り合ったりする機会も、決して多くはありませんでした。しかし、運命のいたずらか、1990年04月01日から二年間、澄人氏の東京の高校進学を機に、父と息子の二人暮らしが始まります。父親らしいことをしてこなかった罪滅ぼしのようなこの期間、会長が料理を、息子が洗濯を担当するという奇妙で愛おしい共同生活が送られました。
当時の食卓に並んだのは、多忙な合間を縫って作られた簡素な料理ばかりでした。週に何度かは近所の焼肉屋へ足を運ぶこともありましたが、交わされた会話の内容は、驚くほど記憶に残っていないといいます。息子がどのような大学を目指し、何を考えているのか。そうした情報の多くは、常に妻を経由して会長の耳に届いていました。そんな彼が東京大学経済学部へ合格したという報せを聞いたとき、会長は自身の合格時を上回るほどの喜びに包まれ、息子の将来に大きな期待を寄せたのです。
「子供は母親が育てるもの」という経営者の哲学
大学進学に際し、会長が息子へ掛けた言葉は「ビジネスの世界に進むなら、ヤオコーも選択肢の一つだよ」という控えめな提案だけでした。そして2001年の入社時には、「社員を大切にすること」という唯一無二の教えを伝えています。現在の澄人氏が立派な後継者として成長を遂げたのは、ひとえに妻が深い愛情を持って育て上げた結果だと、会長は確信しています。まさに「子供は母親の背中を見て育つ」という言葉を地で行く、家族の物語がそこにはありました。
SNS上では、このエピソードに対し「父親が不器用ながらも息子と向き合おうとする姿に胸が熱くなった」という声や、「妻への全面的な信頼と感謝を口にできるリーダーは格好いい」といった感動の輪が広がっています。企業のトップでありながら、自身の至らなさを率直に認め、家族の支えを強調する姿勢は、多くの現代人の共感を呼んでいるようです。単なる同族経営の美談ではなく、そこには人を育てることの本質が隠されているのではないでしょうか。
私個人の見解としては、川野会長の「妻への感謝」を基盤とした経営哲学こそが、ヤオコーが地域で愛される理由だと感じます。従業員を家族のように大切にするという教えは、会長自身が家庭を顧みられなかった反省から生まれた、真実味のある言葉だからです。形だけではない、血の通った継承が行われたヤオコーの未来は、今後さらに輝きを増していくに違いありません。成功の裏に隠された家族の絆を知ることで、私たちがお店を見る目も少し変わってくるはずです。
コメント