2020年に開催を控えた東京オリンピック・パラリンピック。この世界的祭典が最大のテーマとして掲げているのが「持続可能性(サステナビリティ)」です。これは、環境破壊を抑え、将来の世代に豊かな地球を引き継ぐための取り組みを指します。大会を通じて世界に先進的な姿を示し、社会の在り方を変える「レガシー(遺産)」にしようという壮大な計画ですが、2019年08月06日現在の状況を紐解くと、その理想と現実の間には、いまだに深い溝が横たわっているようです。
特に物議を醸しているのが、競技場建設に使用されている木材の調達問題でしょう。新国立競技場などの建設に際し、東南アジアの熱帯雨林から「違法伐採」の疑いがある木材が流入しているという指摘が、国際的な環境NGOから相次いでいます。SNS上では「エコを謳いながら、裏では自然を壊しているのか」といった厳しい批判が飛び交っており、大会組織委員会が定めた調達基準の甘さを不安視する声が急増しているのが現状です。これは、単なる建材の問題に留まらず、祭典の倫理観そのものを問う事態に発展しています。
水素社会の旗印「燃料電池車」が直面する高額な壁とインフラの課題
一方で、大会のクリーンなイメージを牽引するはずの「水素社会」の実現にも、暗雲が垂れ込めています。トヨタ自動車が投入する燃料電池車(FCV)は、走行中に水しか排出しない究極のエコカーとして期待されていますが、その車両価格は依然として高額です。加えて、燃料を補給する「水素ステーション」の整備コストも膨大であり、普及のスピードは当初の想定を下回っています。このままでは、大会期間中だけのパフォーマンスに終わり、大会後には人々の生活に根付かない懸念があると言わざるを得ません。
FCVとは「Fuel Cell Vehicle」の略称で、搭載された燃料電池で水素と酸素を化学反応させて電気を作り、モーターを回して走る仕組みです。ガソリン車と異なり二酸化炭素を排出しないため、地球温暖化対策の切り札とされています。しかし、一般消費者が手に届く価格帯まで下がらなければ、真の意味で社会を変えることは困難でしょう。SNSでは「コンセプトは素晴らしいが、現実的な選択肢ではない」という冷ややかな意見も見受けられ、理想だけが先行している印象を拭えません。
私は、この「持続可能性」という言葉が、単なる大会のキャッチコピーとして消費されてしまうことを強く危惧しています。真の環境保護とは、目に見える華やかな成果だけでなく、サプライチェーンの末端に至るまで透明性を確保し、経済合理性と両立させる泥臭い努力の積み重ねです。現状の東京五輪が抱える課題は、日本社会全体が「安さや効率」の裏にある代償から目を背けてきた結果ではないでしょうか。2019年08月06日の今こそ、私たちはこの祭典が本当の意味で「未来への投資」となっているかを厳しく見つめ直すべきなのです。
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