2019年6月8日時点の状況を香港大学ニュースメディア研究センター所長のキース・リッチバーグ氏の分析からお届けします。2020年のアメリカ大統領選挙に向けて、野党である民主党の候補者や支持者の皆様にとって、ドナルド・トランプ大統領を打ち破り、アメリカがトランプ氏以前の外交感覚を取り戻すことは、大変重要な課題となるでしょう。しかし、アジア政策などの主要な外交分野においては、トランプ氏が掲げる**「偏狭なナショナリズム」や、多国間の貿易協定に対する反対姿勢が、すでにアメリカの「ニューノーマル(新常態)」から逸脱しているとは言えない状況になっていると、リッチバーグ氏は指摘しています。
かつて、ビル・クリントン元大統領やバラク・オバマ前大統領の政権時代には、民主党の指導者たちは基本的に「自由貿易」と「国際主義」を支持していました。しかし、その時代は遥か昔に終わりを迎えてしまったように見えます。これは、2008年の世界的な金融危機や、2016年のイギリスの欧州連合(EU)離脱決定「ブレグジット」に代表されるような、世界的な「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の潮流が引き起こした結果だと考えられます。
トランプ氏後の民主党候補も「保護主義」志向に傾く現状
トランプ氏に取って代わろうとする民主党の有力候補者の中で、自由貿易や経済のグローバル化の長所を声高に擁護している人物は、今のところ見当たらないようです。オバマ前政権が交渉を進めた多国間貿易協定である「環太平洋経済連携協定(TPP)」に対する各候補の態度は、懐疑的な姿勢から、完全に反対する立場まで、幅があるものの、全体として後ろ向きだと言えるでしょう。TPPとは、太平洋を取り囲む国々の間で、関税の撤廃や投資のルールなどを統一し、経済的な連携を深めることを目指した協定のことです。
対中国関係においても、多くの有力候補者からの発言は、おおむねクリントン氏やオバマ氏よりもトランプ氏の考え方に近いものとなっています。彼らは中国を、「不公正な貿易」や「技術の盗用」、そして「為替の操作」を行っているライバル国だと断定し、「いずれ阻止しなければならない」という強い姿勢を示しています。一部、地元に農業州や貿易に依存する産業を抱える候補者は、貿易戦争が農家や中小企業に及ぼす悪影響について懸念を表明していますが、彼らが非難しているのはトランプ氏が貿易戦争を始めたことそのものではなく、同盟国の賛同を得ずに一方的に対立している点であるようです。
現時点で最有力候補とされるジョー・バイデン前副大統領は、例外的な存在です。オバマ政権のナンバー2として、彼は自由貿易の推進を支持し、TPPを擁護し、中国の指導者、特に習近平国家主席とも緊密な関係を築いてきたとされています。しかし、そのバイデン氏でさえ、2019年5月には「中国は悪い連中でもなく、我々の競争相手にならない」という発言をしたことで、「対中貿易がアメリカの製造業などにどれほどの損害をもたらしたかを理解していないのではないか」という批判の声が上がり、後退を余儀なくされました。この事実は、バイデン氏のような経験豊富な政治家でさえ、世論の変化を考慮して言葉を慎重に選ばざるを得ないほど、アメリカ国内の政治的環境が大きく変化したことを如実に示していると言えるでしょう。
🇺🇸 格差問題が加速させる「反貿易」の波と、日本の取るべき行動
オバマ氏が2012年の大統領再選後に、世界は危険だけでなく機会もあると訴えた時代とは異なり、現在ではグローバル化の結果とされる「格差の拡大」が、2020年の大統領選挙を活気づける主要な争点となっています。複数の世論調査によると、アメリカ人の半数以上が、所得格差は深刻な問題だと認識しているとのことです。
トランプ氏が、伝統的に民主党の支持基盤であった労働組合の強い州にアピールすることで大統領に当選したという経緯を踏まえ、民主党もまた、より「貿易に敵対的」な姿勢を取らざるを得なくなっているのが現状です。そしてトランプ氏自身も、再選の確率を高めるためには、貿易をはじめとする中国との問題を焦点に据えることが重要だと理解している様子がうかがえます。2019年6月から始まる民主党候補の公開討論会では、多くの候補が乱立する中で、何とか自らを際立たせようと努力するでしょう。そして、彼らの大半の意見が一致する可能性が高いのは、「経済的な脅威である中国と対峙する必要がある」という点になると予想されます。
この状況を踏まえると、アメリカを除くTPP参加11カ国は、次期アメリカ大統領の政策変更を期待し、時間を浪費すべきではありません。トランプ政権の終焉をただ待つアジア各国は、トランプ氏の「保護主義的な主張」が、すでにアメリカの「新常態」になりつつあるという現実に、今こそ目を覚ます必要があるのかもしれません。
編集者視点:経済ナショナリズムはアメリカの「通奏低音」となる
「トランプ大統領が保護主義の根源であり、彼さえいなくなればアメリカの政策は好転するだろう」という期待は、残念ながらあまり抱かないほうが良いと考えます。リッチバーグ氏の指摘の通り、2020年の大統領選挙で、自由貿易とグローバル化の長所を堂々と擁護する候補者は現れそうもないからです。
アメリカ国内で広がる対中強硬姿勢や多国間貿易協定への反発は、仮にトランプ氏が大統領選に敗れてホワイトハウスを去ったとしても、すぐに消え去ることはないでしょう。伝統的に自由貿易を支持してきた共和党の中にも、今や手放しでそれを支持する人物は見当たらなくなっています。トランプ氏の「思い込みによる乱暴な物言い」や「衝動的なツイート」、「ディール外交」といった「トランプ・スタイル」は消滅しても、彼の政策の根底にあった「経済ナショナリズム」は、アメリカの政策決定過程において、「通奏低音」として長く残り続けるのではないでしょうか。通奏低音とは、バロック音楽などで、低音部が楽曲全体を通して一貫して演奏されることを指し、ここでは、その考え方がアメリカの政策の「基調」となり続けることを意味しています。
なお、キース・リッチバーグ氏は、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で修士号を取得し、米ワシントン・ポスト紙**で北京やマニラなどの特派員を歴任した後、ハーバード大学フェローなどを経て、現職を務めている方です。
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