2019年6月8日時点、中国の長きにわたる地位である「世界の工場」が、大きな岐路に立たされている状況です。これは、米国との間で激化する米中貿易摩擦(米中の経済・貿易をめぐる対立のこと)が直接的な引き金となり、中国に拠点を置く上場企業のうち、2018年以降に海外への移転や生産拡大を決定、あるいは表明した企業が20社を超えているという驚くべきデータが示されているからです。これらの動きは、すでに制裁関税の対象となっている家電や家具といった分野だけにとどまらず、今後さらなる制裁拡大を予期する企業の間でも顕著に現れ始めています。
特にベトナム北部の港湾都市ハイフォンは、自動車部品や精密機械関連企業が集積し始めており、生産拠点の移設先として大きな注目を集めています。中国国境からトラックで約4時間という地理的な優位性もあり、多くの中国企業幹部が工場用地の視察や情報収集に訪れている状況が見て取れます。ある国際物流大手の幹部は、中国企業が抱く貿易戦争への危機感を肌で感じていると語っており、多くの企業がタイやインドなども比較検討しながら、「いつでも移転できる」よう周到な準備を進めている模様です。
具体的な企業の動きとして、広東省深𠎥に本拠を置く機器メーカーの和而泰(ホアヤタイ)は、5月15日の取締役会でベトナムへの生産拠点設立を決定しました。約5億4000万円にあたる500万ドルを投じて現地法人を設立し、家電向けの制御機器などの生産を見込んでいるとのことです。同社の羅珊珊取締役は、このベトナム進出は国際化が主目的であるとしつつも、「同時に米中摩擦回避にも役立つ」と述べ、関税リスクの分散を図る意図を明らかにしています。
さらに、米アップルのワイヤレスイヤホンの組み立てを請け負う電子機器大手の歌爾声学(ゴーテック)は、1月にベトナム北部バクニン省に約2億6000万ドルを投じた工場建設の認可を取得しました。また、テレビ大手のTCL集団も、2019年9月頃にはベトナムで年間300万台規模の工場を稼働させる計画であり、パソコン世界最大手のレノボ・グループも、米国向けパソコン部品工場をハノイ近郊に建設することを検討していると現地メディアは報じています。これらの動きは、単なる一過性の対応ではなく、サプライチェーン(製品の原材料の調達から最終的な消費者に届くまでの全工程)の根本的な見直しへと発展していることを示しています。
制裁関税の引き上げが後押しする東南アジアへの生産移転
ドナルド・トランプ米政権は5月10日、家具や家電など2000億ドル相当の中国製品に対する制裁関税(特定の国からの輸入品に対して上乗せされる関税のこと)を従来の10%から25%へと大幅に引き上げました。さらに米政権は、ほぼ全ての中国製品が対象となり得る「第4弾」の制裁関税計画も表明しており、貿易戦争の長期化が避けられないとの見方が強まっています。電気設備メーカーの通潤装備は、「関税が10%だった際は3~5%の値下げで対応できたが、25%の関税は大きな打撃だ」と苦境を明かしており、第4弾が発動されれば、中国企業の海外移転が一段と加速する公算が大きいと予測されます。
このような状況を背景に、中国企業を誘致しようという動きが東南アジア各国で活発化しています。例えば、フィリピンの大手財閥アヤラは4月に、北部ルソン島に中国企業向けの工業団地を設立する方針を発表しました。既に合弁相手の中国企業と交渉に入っており、数年内の着工を目指しているとのことです。このことは、生産移転が単なる企業の個別判断を超え、アジア地域全体の経済構造に影響を与え始めていることを示唆しています。
日本・台湾・米国企業も加わる「脱中国」の潮流
中国企業だけでなく、台湾、米国、日本といった他国の企業でも、生産拠点を中国国外に移す動きが広がっています。台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)大手である仁宝電脳工業(コンパル)の翁宗斌・総経理は、米国向けルーターやデスクトップパソコンの一部を台湾やベトナムに移転したと発表しました。また、電源装置大手の光宝科技や、EMS最大手の鴻海(ホンハイ)精密工業のように、生産拠点を台湾本土へ回帰させる動きも多く見られます。
日本企業では、複合機大手のリコーとシャープがタイへの生産移管を決定し、京セラもベトナムへの移管を検討するなど、「脱中国」の潮流は日系企業にも例外なく押し寄せています。米国企業でも、ロイター通信によれば、米靴メーカーのブルックスが1月にランニングシューズ生産の大半を中国からベトナムへ移すことを決断しました。中国米国商会が5月に実施した調査によると、中国で活動する米国企業の約4割が、既に生産拠点を国外に移転したか、または移転を検討中であると回答しており、この生産移転の波が広範囲に及んでいることが分かります。
「世界の工場」の生産移転が中国にもたらす雇用への影響
一連の生産移転の動きが続けば、当然ながら中国国内の雇用や投資にも深刻な影響が出る可能性は否定できません。例えば、米靴メーカーのブルックスのケースでは、2019年末までに約8000人分の雇用が中国からベトナムへと移動する見込みです。生産拠点の流出は、中国がこれまで経済成長の柱としてきた製造業の現場で、大きな雇用不安を生み出すことが懸念されます。
この事態に対し、中国国務院(政府)は5月22日、雇用対策を一元的に管理する「就業工作領導小組」の設置を発表し、胡春華副首相がそのトップに就任しました。政府は公式には雇用情勢は良好であるとしていますが、企業業績の回復は鈍く、賃金も伸び悩んでいるとの見方が多く、この「領導小組」の設置は、習近平指導部がこの問題に対し強い警戒感を抱いていることの表れだと推察されます。私は、この一連の生産移転は、一時的なコスト調整ではなく、グローバルなサプライチェーンの地殻変動であると捉えています。中国政府が雇用不安という内なる問題にどう対処し、製造業の空洞化を食い止めることができるのか、その動向に注目する必要があるでしょう。SNSでは、「これは中国国内の雇用情勢に大打撃だ」「東南アジアの経済が活性化するチャンスだ」といった反響が多く見られ、この巨大な経済の波がもたらす影響への関心が高まっています。
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