日立製作所の原点に学ぶ逆転の経営哲学!5馬力モーターから挑むIoT新時代への軌跡

2019年08月14日現在、日本列島は穏やかなお盆休みの真っ只中にありますが、世界経済の海原には激しい荒波が立ち込めています。米中間の貿易摩擦や日韓関係の緊迫化など、先行きの見えない不安が広がると同時に、国内では生産性の低下や深刻な技術者不足という避けては通れない壁が立ちはだかっています。こうした激動の時代を生き抜くための智慧は、一体どこに見出すべきなのでしょうか。その答えを探るべく、日本を代表する企業の「始まりの場所」を訪ねました。

今回注目したのは、日本のインフラを長年にわたって支え続けてきた重電大手の雄、日立製作所です。彼らの壮大な物語の幕開けは、1910年に茨城県日立市で産声を上げました。当時は久原鉱業所日立鉱山に付属する、名もなき小さな機械修理工場に過ぎなかったのです。しかし、そこには創業者の小平浪平氏が抱いた「海外製品に頼ることなく、自分たちの手で優れた国産の電気機械を作り上げたい」という、燃えるような情熱が渦巻いていました。

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国産5馬力モーターが灯した日本の希望

小平氏の執念が形となった記念すべき第一号製品が、伝説の「5馬力モーター」です。ここで言う「馬力」とは、工学的に仕事率を表す単位であり、1馬力は1頭の馬が継続的に発揮できる力に相当します。当時の技術水準において、外国産に引けを取らないモーターを自前で完成させることは、まさに不可能への挑戦でした。現在、日立事業所内には創業時の小さな小屋が復元されていますが、その簡素な佇まいからは、当時のエンジニアたちの並々ならぬ気概が伝わってきます。

この小さなモーターから始まった日立の技術革新は、やがて日本の近代化を力強く牽引することになります。1924年には国産初となる大型電気機関車を世に送り出し、その後は私たちが誇る新幹線の車両開発へと結実しました。さらには電気冷蔵庫や洗濯機、カラーテレビといった家電製品から、最先端のコンピューターに至るまで、幅広い分野で豊かな暮らしを支える総合電機メーカーへと飛躍を遂げたのです。その根底には、常に原点の精神が息づいています。

伝統と革新が交差する「IoT」の最前線

SNS上でも「日立の歴史に触れると勇気をもらえる」「ものづくりの魂は今も健在だ」といった熱い反響が数多く見受けられます。多くの人々が、単なる企業の成功物語としてではなく、日本の底力を象徴する姿として共感しているようです。興味深いことに、日立はこの創業の地を、次なる成長の鍵を握る「IoT」の重要拠点として位置づけています。日立市にある大みか事業所では、伝統的な技術と最新のデジタル技術を融合させる試みが加速しています。

「IoT」とは「Internet of Things」の略称で、日本語では「モノのインターネット」と訳されます。これは、工場内の機械や製品など、あらゆるモノが通信機能を持ってインターネットに繋がり、情報をやり取りする仕組みを指します。大みか事業所ではこの技術を駆使し、熟練工の技をデータ化して継承したり、生産ラインの無駄を極限まで排除したりすることで、世界に誇る高効率な生産体制を磨き上げているのです。まさに過去と未来が交差する場所と言えるでしょう。

さらに2021年度には、地域住民や世界中の従業員が集うコミュニティ拠点として「日立オリジンパーク(仮称)」の開設も予定されています。筆者の個人的な意見を述べさせていただければ、これこそが真の意味での「企業文化の継承」だと確信しています。単に古いものを守るだけでなく、創業者が抱いた「社会に貢献する」という志を現代の言語で再定義し、発信し続ける姿勢こそが、不透明な現代において組織を一つに束ねる最強の武器になるはずです。

2019年08月14日の現在地から未来を見据えたとき、日立製作所が歩んできた道は私たちに多くの示唆を与えてくれます。どんなに巨大な組織になっても、あるいはどんなにデジタル化が進んでも、最後は「誰のために、何を作るのか」という熱い想いに帰結するのです。小平浪平氏が小さな修理工場で見上げた夢は、100年以上の時を経て、今度はデジタルの翼を広げて世界へと羽ばたこうとしています。この挑戦の行く末を、これからも追い続けていきたいと思います。

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