世界を揺るがす米中貿易摩擦の波紋が、ついに中国の中堅製造業にまで押し寄せています。2018年夏以降、生産拠点の海外移転や増産を公表した中国の上場企業は30社を突破しました。驚くべきことに、その約8割が売上高100億元(約1500億円)未満の中堅・準大手企業であり、これまで国内を基盤としてきた勢力が一斉に動き出しているのです。
出口の見えない対立を前に、これまでの「世界の工場」としてのあり方が劇的な転換期を迎えています。かつてはAppleなどの外資系巨人が主導していた供給網の再編ですが、今や中国自体の看板を背負う企業たちも、生き残りをかけた決断を迫られているのが2019年8月17日現在のリアルな状況と言えるでしょう。
制裁関税の直撃を受けた現場、消える国内生産ラインの衝撃
浙江省安吉県に本拠を構える大手家具メーカー、恒林椅業の工場跡地には、今や物悲しい空き地が広がっています。同社は約50億円という巨額を投じ、ベトナムに2つの新たな生産拠点を設立することを決定しました。2019年後半の稼働を目指す一方で、長年親しまれた国内本社の生産ラインを一部撤去するという、苦渋の選択に踏み切っています。
背景にあるのは、2018年9月に発動された対中制裁関税「第3弾」です。当初10%だった家具への関税は、2019年5月には25%へと跳ね上がりました。この急激なコスト増に対し、下請け企業からも「経営が厳しくなる」と悲鳴が上がっています。米国市場という巨大な顧客を繋ぎ止めるためには、物理的な脱出以外に道はないという切実な事情が透けて見えます。
SNS上では「中堅企業がこれほど速いスピードで海外へ逃げ出すとは思わなかった」といった驚きの声や、「自分たちの雇用はどうなるのか」という不安を抱く労働者の投稿が散見されます。単なるニュース上の出来事ではなく、一人ひとりの生活に直結する問題として大きな反響を呼んでいるのです。
なぜ「ベトナム」なのか?加速するサプライチェーンの構造改革
移転先として圧倒的な支持を集めているのがベトナムです。今回調査した33社のうち、実に7割を超える24社が同国を選んでいます。中国との地理的な近接性に加え、安価な労働力、さらにはカンボジアやラオスといった近隣諸国と比較しても際立って整備されたインフラが、経営者たちの背中を強力に後押ししている理由でしょう。
ここで注目すべきは、「サプライチェーン(供給網)」の再編という専門用語です。これは、原材料の調達から製造、販売、消費者に届くまでの一連の流れを指します。米中対立により、従来の「中国で作って米国へ売る」という流れが機能不全に陥ったため、企業は関税の影響を受けない第三国を経由する新たなルートを必死に構築しているのです。
掃除機用ホースなどを手がける春光橡塑は、2019年7月にベトナム進出を発表しました。これは自社のみならず、納入先である家電メーカーの移転に合わせた動きと考えられます。一社が動けば関連企業も追随せざるを得ない、連鎖的な「大移動」が始まっているといっても過言ではありません。
中国経済の光と影、産業高度化の裏で忍び寄る雇用不安
中国政府は、今回の事態を「労働集約型産業が低コストな地を求めるのは正常な経営判断だ」と、努めて冷静に分析しています。労働集約型産業とは、機械よりも人の手による作業の割合が高い業種を指します。生産年齢人口が減少に転じるなかで、低付加価値な産業を海外に譲り、自国はハイテク産業へ移行するという「産業の高度化」を目指す構えです。
しかし、理想とは裏腹に現実は厳しさを増しています。2019年7月の都市部失業率は5.3%と上昇傾向にあり、工場労働者の残業代減少による所得の伸び悩みは、個人消費の冷え込みに直結しかねません。私個人としては、今回の移転ラッシュは中国経済にとって「毒にも薬にもなる劇薬」だと感じています。中長期的には進化のチャンスでも、足元の雇用を失えば社会の安定が揺らぐリスクを孕んでいるからです。
2019年9月と12月には、さらに広範な品目を対象とした「第4弾」の制裁関税が控えています。中国共産党は積極的な財政出動で景気の下支えを急いでいますが、企業の海外流出という構造的な変化をどこまで食い止められるのでしょうか。今はまさに、世界のパワーバランスが書き換えられる歴史的な分岐点に立っているのです。