国民の注目を集める「恩赦」が、この秋、実に26年ぶりに実施される見通しです。このニュースを聞き、私はある過去の出来事を思い出さずにはいられません。それは、1993年(平成5年)5月、当時の後藤田正晴副総理・法務大臣が打ち出した、ある「差配」についてです。彼は、翌6月に予定されていた皇太子ご成婚に伴う政令恩赦の不実施を表明し、「国民の批判は素直に受け止める必要がある」と述べました。主要メディアは「反対論に配慮したもの」(毎日新聞)、「ひとつの英断として評価できる」(読売新聞)など、一斉に歓迎の論調で報じました。
では、そもそもなぜ、恩赦はこれほどまでに国民からの評判が悪いのでしょうか。その大きな理由の一つは、救済の対象が公職選挙法違反に偏っているという、あまりにも露骨な実態にあるでしょう。例えば、1956年(昭和31年)の国連加盟恩赦を振り返ると、政令恩赦の対象者のうち、なんと驚くことに99.8パーセントが選挙違反者だったのです。自民党政権は、皇室の慶弔とは関係のない、例えば明治100年(1968年)や沖縄返還(1972年)といった節目でも恩赦を実施してきました。日本の選挙が長きにわたり、買収や供応といった行為がまかり通っていた背景には、自民党の運動員たちが「すぐに許される」と高をくくっていたことも影響していると、私は推察します。
その実態を示す興味深い記録があります。手元にある、明治百年記念恩赦の2年後に法務省が作成した「明治百年記念恩赦の記録」という冊子を読むと、根拠が薄弱な恩赦を嫌がる法務省の官僚たちを、自民党がいかに押し切っていったかの過程が手に取るように分かります。1968年(昭和43年)5月、佐藤栄作首相が恩赦実施の意向を表明すると、6月の全国検察長官会同では、各地の検事正から「選挙違反を助長し、捜査官の士気に悪影響がある」と、強い反対意見が噴出しました。さらに7月の会議では、「慶祝の趣旨で行うとすれば、国民こぞって祝う気持ちが横溢していなければ、政治不信に陥るおそれがある」「特段の国民感情の盛り上がりがみられない」といった、恩赦に消極的な基本方針が決められています。
にもかかわらず、当時の赤間文三法務大臣は「明治百年の意義は相当高く評価されるべきだ」として譲りませんでした。長州出身である佐藤首相に褒めてもらいたいという政治的な動機があったのでしょう。結果として、法務省は11月に戦前の大日本帝国憲法発布50周年や紀元2600年祝典での恩赦を前例として持ち出し、○○周年恩赦があってもおかしくないという結論に導かれてしまったのです。
後藤田氏が選んだ「国民の目をごまかす」特別基準恩赦とは
話を1993年(平成5年)に戻しましょう。当時の自民党は、選挙制度改革をめぐる党内抗争で危機的な状況にありました。政党支持率がさらに下がることを懸念しつつも、差し迫った衆議院議員総選挙に向けて、選挙違反で公民権を停止されて活動できない、いわば「蟄居(ちっきょ)」中の党員を一人でも多く現場に復帰させる必要性に迫られていたのです。ここで後藤田氏が打ち出したのが、政令恩赦は不実施とする一方、特別基準恩赦のみを実施するという、非常に巧妙な手法でした。
ここで専門用語を解説しましょう。一般的に恩赦として知られる「政令恩赦」は、対象となる犯罪や刑の種類などを政令で一律に明示し、多くの人に適用するものです。これに対し「特別基準恩赦」とは、「刑に処せられたことが社会生活を営むのに障害となっている者」などが、自ら自己申告をして初めて、公民権の停止解除などが認められる制度です。これは政令恩赦を補完するための例外的な仕組みとされており、単独で実施されたのは、恩赦が頻繁に行われていた1950年代に一度あったきりでした。国民の恩赦アレルギーが強い中で、後藤田氏はこの例外的な制度を単独で実施するという「離れ業」をやってのけたのです。
その結果はどうだったのでしょうか。蓋を開けてみれば、特別基準恩赦を受けた1,277人のうち、4分の3が選挙違反者でした。しかし、この制度は申告制であるため、その数字がすぐに公になることはありませんでした。そして、その間に衆議院総選挙は終わっていたのです。この手際の良さを見るにつけ、後藤田氏の政治手腕に「さすが」という声が上がるのも理解できるかもしれません。
近年、後藤田氏は「政治改革に尽力した良識の人」「憲法改正に反対したハト派の象徴」として語られることが多くなりました。しかし、今回の巧妙な差配は、国民の恩赦アレルギーを上手にいなしたものと評価すべきでしょうか。私は、その政治的な巧妙さには舌を巻くものの、その裏で選挙違反という民主主義の根幹を揺るがす行為を救済していたという事実は、決して見過ごしてはならないと考えます。余談ですが、警察庁長官OBである彼が、政界入りの初陣となった参議院議員選挙で、大量の選挙違反者を出して落選したという過去も、併せて指摘しておく必要があるでしょう。
SNS上では、今回の恩赦実施の方針に対し、「また選挙違反の身代わりを作るのか」「国民の祝賀ムードを利用するな」といった、過去の恩赦に対する不信感や批判の声が多く見受けられます。この秋、26年ぶりに実施される恩赦は、かつての「後藤田恩赦」の再来となるのでしょうか。今後の動向を、国民の一人として注視していく必要があるでしょう。選挙違反の温床になりがちな恩赦の運用には、常に透明性と国民への説明責任が求められる、というのが私の意見です。
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