音楽評論家の鈴木淳史氏が「名作コンシェルジュ」として推薦するのは、指揮者カルロ・マリア・ジュリーニとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームスの「交響曲第2番」の録音です。この作品は、その屈託のない明るい楽想から「田園交響曲」と称されることもある名曲です。ジュリーニは、この曲を1991年4月にドイツ・グラモフォン・レーベルのために録音しました。実は同じ年の10月には、もう一人の巨匠、カルロス・クライバーもウィーン・フィルを指揮して同曲を演奏しており、後に映像作品としてリリースされています。
当時の音楽ファンの間で大きな話題となったのは、クライバーの若々しく即興性に富んだ演奏でした。しかし、ジュリーニの指揮による演奏は、同じオーケストラとは思えないほど対照的な方向性を持っていたのです。その特徴は、「のびのびと歌われながらも、停滞と脱力に満ちた」異形の音楽性にあると鈴木氏は語ります。クライバー盤に熱狂した当時の鈴木氏は、このジュリーニ盤を聴いた時、熱狂とは違う、「畏怖」にも似た感覚を覚えたと回想されています。
孤高の巨匠ジュリーニが辿り着いた「枯淡の境地」
ジュリーニ(1914年生まれ、2005年没)は、イタリア出身の指揮者で、ミラノ・スカラ座音楽監督やロサンゼルス・フィル音楽監督などを歴任した巨匠です。彼の指揮は、一貫して品の良さと温かみに満ちた音楽作りで知られていました。特に晩年に近づくにつれ、演奏のテンポは遅くなり、より丹念な表現が追求され、壮大なスケール感を持つようになっていったのです。今回紹介されているブラームスの交響曲チクルス、すなわちチクルス(一連の作品をまとめて演奏・録音する試み)が録音されたのも、ジュリーニがその枯淡の境地(人生経験を積み、感情にとらわれず落ち着いた境地)を極めたとされるこの時期でした。
特にブラームスの中でも、その円熟した境地が色濃く反映された「交響曲第4番」の評判は非常に高いとされています。しかし、この「第2番」が持つ個性は群を抜いており、ブラームスの代名詞である「喜怒哀楽」といったドラマ性から完全に解き放たれ、「達観」したかのような音楽を提示しています。私自身の意見として、クラシック音楽、特にロマン派の交響曲において、指揮者が自我を抑え、作品そのものが持つ根源的な美しさを、ここまでストレートに、かつ深い解釈で描き切った例は稀有であると感じます。
停滞と脱力が生み出す、まるで「大仏」のような重厚な響き
第1楽章を聴くと、弦楽器をはじめとするすべての楽器が、文字通りゆるゆると歌い上げられていることが分かります。単に濃厚なカンタービレ(歌うように)というよりは、非常にリラックスしていて柔軟な表現です。その表情は一貫しており、音楽の転換点でも焦ったり、取り乱したりすることなく、ほとんど揺らぎません。さらに特筆すべきは、スピード感がほとんどないため、ゆったりとした歌が幾重にも重なり合い、結果として重々しさがじわりとにじみ出す、厚塗り感のある響きになる点です。
第2楽章においても、多くの指揮者が調性が変わる場面などで思い切った表情の変化を付けてドラマティックに聴かせるのに対し、ジュリーニはまったく動じることなく進みます。陰影感がなく、微妙に晴れ渡ったままの音響は、聴く人によっては、かえって不気味に感じられるほどかもしれません。しかし、オーケストラのバランス作りは極めて優れており、特に第3楽章の間奏曲(曲の途中に入る短い独立した曲)風の主題とチェロのピチカート(弦を指で弾く奏法)との絡み、そして最終楽章冒頭主題の内声部(旋律やバスの間に挟まる声部)の動きなどは、遅いテンポの効果も相まって、驚くほど明快に描き出されています。
SNSでの反響とジュリーニ盤が持つ独自の魅力
最後の楽章、再現部からコーダ(曲の結尾部分)にかけては、静かに始まった主題がクライマックスへと向かい、高揚感をもたらすのが一般的な解釈です。先に触れたクライバーは、まさに鮮烈なアクセル操作で聴衆を熱狂させますが、ジュリーニはあくまで平常心を保ち、ゆったりと散歩するかのように音楽を進めます。ダイナミックレンジは広く音が大きくなっているにもかかわらず、そこには衰弱の美さえ感じられるという表現は、この演奏の本質を突いているでしょう。SNS上では「ジュリーニのブラ2は唯一無二」「最初は違和感があったが、聴き込むほどに深遠な世界に引き込まれる」「クライバー盤と聴き比べると、指揮者の音楽観の違いに驚愕する」といった反響が見られ、その独自の解釈が多くの音楽ファンに衝撃を与え続けていることが分かります。
ジュリーニが1991年4月にウィーンで録音したこの演奏は、微笑みをうっすらと浮かべたまま表情を変えず、ただ巨大化していくかのような音楽です。鈴木氏はこれを「大仏」に例え、「なにかとてつもなくありがたい心地」がすると結論付けています。ドラマや喜怒哀楽といった人為的なものから完全に自由になった、ブラームスの交響曲第2番の決定盤の一つとして、ぜひ多くの方に聴いていただきたい名盤です。このCDはユニバーサルから、税別1,600円で発売されております。
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