🔥【歴史小説家が語る】ノートルダム大聖堂火災の衝撃と、パリの「石の記憶」を巡る深層【SEO対策キーワード:ノートルダム大聖堂,火災,歴史小説,パリ,佐藤賢一,フランス革命】

2019年4月15日の夕刻にフランス・パリのノートルダム大聖堂で発生した大規模な火災は、翌16日午前にようやく鎮火しました。しかし、この世界遺産の象徴的な被害は、世界中に計り知れない衝撃を与えました。西側正面にそびえ立つ、石造りの双子の鐘楼は幸いにも無事でしたが、大聖堂のシンボルであった尖塔(せんとう)は炎に包まれ崩落し、木製の屋根も全焼してしまったのです。特に、古くから「東側、つまり背後から眺める姿が最も壮麗である」と讃えられてきたノートルダムの美しい景観は、もう台無しになってしまったと嘆かざるを得ません。

この惨事を知った時の衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがありました。日本時間で朝、何気なくスマートフォンを覗き見た際にこのニュースを知り、慌ててテレビをつけた時、ライブ映像に映し出されていたのは、燃え盛るノートルダムの姿でした。「まさか、冗談だろう」「CGではないのか」と、それが厳然たる現実であると認めざるを得なくなるまで、長い時間、テレビ画面の前から動けませんでした。その日は何をしていても仕事が手につかず、気づけば、過去に大聖堂内の売店や自動販売機で買い求めた図版や記念メダル、門前の土産物屋で見つけた掌サイズの置物や絵葉書といった「ノートルダムゆかりの品々」を、探し集めてしまうほどでした。

SNS上でもこの火災に対する反響は凄まじく、「人生で一度は訪れたいと思っていたのに…」「フランスの魂が燃えているようだ」といった悲痛な叫びや、「再建に向けて寄付したい」という声が世界中から上がり、いかにノートルダム大聖堂が多くの人々にとって大切な存在であったかを物語っています。しかし、筆者自身はパリジャンでもなく、フランス国民でもなく、カトリックの信徒でもありません。それにも関わらず、これほどまでに動揺する自分を「ただの観光客が手に入れた品々を見て、何を勘違いしているのか」と自嘲しながらも、発生から一ヶ月が経過してもなお、そのショックは消えることがありません。

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歴史小説家としての視点―「燃えた」のは単なる建物ではない

この火災に対する自身の動揺の理由を深く掘り下げてみると、やはり私自身が歴史小説家であり、長年フランス史、特にパリを舞台にした作品を数多く手掛けてきたことに起因していると思われます。夏に出版される予定のナポレオンを題材にした新作の校正刷りの直しに取り掛かったところ、まさにその場面が、ナポレオンがフランス皇帝としての戴冠式をこのパリの大聖堂で挙げるシーンだったのです。この符号が示すように、ノートルダム大聖堂は、単なる観光地ではなく、私の作品世界における重要な舞台装置であり、取材対象でした。

そのため、私のノートルダムへの訪問は、単なる漫然とした観光ではなく、つぶさに観察を行う「取材」という行為でした。それが焼けてしまったことに対し、少なからずショックを受けるのは当然のことかもしれません。しかし、小説の中ではノートルダムそのものが主役ではありません。手元の校正刷りを確認しても、私が描写に熱を入れているのは、大聖堂の建築そのものよりも、戴冠式のために施された、ナポレオンの頭文字「N」や、象徴である「鷲(わし)」、紋章の「蜂」などで華やかに装飾された式典の様子でした。ここでもまた、自分のショックは過剰な思い込みだったのではないかという気持ちが湧いてきます。

さらに仕事を進めていくと、校正では周囲の建物に関する確認の赤字が入れられていました。戴冠式に向かうナポレオンが入堂に使ったとされるパリ大司教宮殿が、現在の地図に存在しないという問い合せです。当然、この宮殿はとうの昔に撤去されており、現代の地図では見つかりません。プロの作家として、私は1739年作成のテュルゴ地図などの古地図を参照し、セーヌ川岸に沿ってノートルダムの南側に並んでいた宮殿の規模や形を確認し、小説に反映させていました。テュルゴ地図とは、18世紀中頃に作成されたパリの詳細な鳥瞰図、つまり上空から見下ろしたように描かれた精密な「絵地図」のことで、建物の具体的な形がわかる貴重な資料です。

ノートルダムは「変わらぬパリ」の基準点

これらの取材経験から思い至ったのは、私にとって、ノートルダム大聖堂こそが「今はなきパリの風景」を描写する際の、絶対的な基準点になっていたという事実です。大司教宮殿、コンシェルジュリ、シャトレ、ルーヴル、バスティーユといった、様々な時代や場所に存在した建物のスケールを計り、その姿を小説の中に再現する際、私は常に、現存するノートルダムを起点としていました。例えば、ノートルダムの正面玄関の幅の二つ分が約8メートル、奥行きの半分弱が約50メートルといった具合に、実測可能なノートルダムを物差しにして、消滅した建物を頭の中で再構成していたのです。

この方法が可能なのは、時代を問わず、どんな古地図にもノートルダムが描かれており、しかもその姿が、現在とほとんど変わらないためです。16世紀半ばのサン・ヴィクトール地図から18世紀のテュルゴ地図に至るまで、パリの主要な絵地図には必ずノートルダムが描かれています。ヨーロッパは「石の文化だから風景が変わらない」という認識は、しばしば日本人の勝手な幻想に過ぎません。ノートルダムの火災が示すように、石造りの建物であっても失われる可能性はあるのです。しかし、裏を返せば、完成した14世紀半ばから基本的な形が変わらずに奇蹟的に残されてきたノートルダム大聖堂は、それゆえにパリという大都市においても他に類を見ない、極めて貴重な歴史的遺産でした。

そのように、歴史の記憶を一身に背負い、小説家としての私の創作活動を支えてきた**「変わらぬ基準点」**が、なくなるかもしれないという事態に直面すれば、ショックを受けない方が不自然でしょう。もちろん、今回焼失を免れた部分は多く存在します。今はただ、この大聖堂が遠からず元の壮麗な姿を取り戻し、再び多くの人々の心の拠り所となることを心から願うばかりです。

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