2019年6月14日、中国の長江下流域に広がる美しい江南地域から、心温まるアートのニュースが届きました。伝統的な美術教育とは一線を画し、農村の女性たちが生み出した「金山農民画」が、いま大きな注目を集めています。このユニークな芸術様式は、地元の伝統的な手仕事から着想を得て発展したものです。指導にあたった呉氏(ごし)は、農婦たちが日常的に親しんでいた刺しゅうや藍染め、そして切り絵といった手工芸品が持つ独自の色彩感覚や構図の美しさに着目しました。絵画の基礎技術を教え込むのではなく、彼女たちが得意とするこれらの伝統工芸の配色や構成をそのまま絵画に取り入れるよう促したのです。
指導を受けた女性たちの多くは、字の読み書きが難しく、美術学校で専門的な教育を受けた経験もなければ、絵筆を握ったこともない一般の農民でした。しかし、呉氏の指導の下、彼女たちは生まれ育った水郷の清々しい情景や、日々の生活の中で目にする風景を、驚くほど自由かつ大胆な表現で描き出し始めたのです。この作品群は、専門的な訓練を受けた画家によるものとは異なる、素朴で力強いエネルギーに満ちています。私はこの金山農民画の魅力は、形式にとらわれない庶民の明るい心と、その土地の豊かな文化を背景にした表現力にあると確信しています。
遠近法を超越した独自のスタイルと伝統色
金山農民画の最大の特徴は、一般的な西洋画の技法である遠近法(とおくのものを小さく、近くのものを大きく描く手法)に捉われない、独自の平面的な表現方法にあります。描かれる対象は立体的なものであっても、あたかも平面的な図案のように捉えられます。さらに、一枚の絵の中に、上から、下から、横からといった、複数の視点を織り交ぜながら対象を捉え、画面いっぱいに生き生きとしたモチーフを配置する構成も目を引きます。色使いについては、地元の伝統的な刺しゅうに見られるような、明快で鮮やかな色彩が用いられており、高いコントラストが画面に強い生命力を与えていると言えるでしょう。
描かれる題材は、時代ごとの変化を取り入れながらも、江南地域の美しい水郷の素朴な農村風景が中心です。例えば、カルガモが泳ぐ水辺の様子、豊かな魚の養殖池、実り豊かな果物や野菜の収穫、そして古くから語り継がれてきた民話の挿話などが頻繁に登場します。これらの絵画の細部にまで、江南地方特有の文化や風習が丁寧に描き込まれており、鑑賞する人々をその土地の生活へと誘ってくれます。女性たちが、布を紙に、縫い針を絵筆に、そして色とりどりの糸を鮮やかな絵の具へと持ち替えて生み出した作品は、従来の農民画(農村の庶民が描く絵画)の枠を超え、現代美術の一つの分野として確立されました。
国際的な評価と受け継がれる心
この金山農民画の独特なスタイルは、国内外で高く評価されることになります。1980年には、中国美術界の最高峰とされる北京の中国美術館で展示が開催され、大きな反響を呼びました。その後もベルギーの展覧会に出品されるなど、国際的な注目を集める存在へと成長したのです。SNSなどでは、その「レトロ&ポップ」な色使いと素朴なデザインが「見ていて元気が出る」「斬新なのに懐かしい」といった好意的なコメントとともに拡散されており、若い世代からもエモいアートとして再評価されています。
実は、私の祖母も呉氏に学び、70歳を過ぎてから絵筆をとり始めた画家の一人でした。祖母は、得意としていた切り絵の図柄を活かしながら、鶏やウサギといった動物や植物を、98歳で亡くなるまで描き続けたのです。楽しそうに絵を描く祖母の姿を見て育った私もまた、20歳の時に画家としての人生を歩むことを決意いたしました。祖母の作品の模写から制作を始めた私は、自由に、そして心のままに絵を描けるようになるまで、数多くの壁にぶつかりました。その度に思い出すのは、祖母が私にかけてくれた言葉です。「金山農民画は、一番素朴な気持ちで、私たちが日常生活のなかで見て、聞いて、心に思ったこと、つまり庶民の明るい心を表現すれば、それで良いのです」と、祖母は優しく語っていたものです。
日常の美しさと文化の伝承
目を凝らせば、私たちの生活の至るところに美しさが満ちているものです。例えば、籠いっぱいに摘まれたイチゴや桃などの果実の彩り、養殖池で魚に餌をやる人々の活気ある動作、あるいは家の中でおしゃべりに興じる娘たちの穏やかな表情。そうした何気ない日常の光景をきちんと見つめることができれば、必ずや素晴らしい作品を生み出すことができると、私は信じています。金山農民画を描くことは、単なる芸術活動に留まらず、私たちの生活そのものをより豊かなものにし、古くから伝わる仕事や生活様式への理解を深める大切な機会となるでしょう。
現在、金山区には主要な画家が100人以上活躍しており、そのうち6名が上海市の無形文化遺産の伝承者に、さらに18名が金山区の無形文化遺産の伝承者として認定されています。また、この農民画の理論的な研究も活発に行われるようになってきました。金山農民画の草創期から活躍してきた作家たちの作品を集めた展覧会「金山農民画展 中国のレトロ&ポップ」が、東京都文京区にある日中友好会館美術館で、6月26日まで開催されています。私も含めた30名の作家による約70点の作品が展示されていますので、この機会にぜひ日本のみなさんにも金山農民画の魅力に触れていただき、一緒に絵を描く仲間となってくださると大変うれしく思います。この展覧会をきっかけに、江南の文化がさらに輝きを増すことを心から願っているところです。


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