休日の街角で偶然出会った、あるお祭りのパレードが、筆者の胸を熱くしました。商店街の道を、さまざまな団体が踊りや歌を披露しながら練り歩く中、一際目を引いたのが、五、六十人はいようかという高齢の女性たちのグループでした。揃いの浴衣に花笠を被り、ゆったりと舞う姿は、まるで大迫力の群舞です。しかも、その選曲はなんと人気アイドルグループのヒット曲「365日の紙飛行機」でした。手には本物の紙飛行機を持ち、優雅に踊るお年寄りたちの姿には、言葉にできないほどの**「老いの説得力」が満ちていたのです。
正直なところ、それまでこの曲に特別な感情を抱くことはなかったものの、高齢者が踊ることで、その歌の持つ意味が全く違う風景を見せてくれました。「朝の空を見上げて/今日という一日が/笑顔でいられるように/そっとお願いした」という歌い出しは、若い女性が歌う時とは異なり、仏壇の阿弥陀様へ、あるいは先に旅立ったご主人様へ捧げる、切実な生への願いとして響いてきたといいます。この光景は、私たち若者への力強いエールのようにすら感じられ、「八十歳のおばあさんの心象風景」として曲を聴き直すことを強くお薦めしたいほど、深く心に染み入る感動を与えてくれることでしょう。
世代を超える「生の輝き」:郷愁と感動の敬老会
同様の経験は、以前にもありました。小学校3年生の敬老の日、過疎の村の敬老演芸会に足を運んだ時のことです。八、九十代の老人会を六、七十代の婦人会がもてなすという、時代を逆行するような空間は、子どもにとっては私一人という珍しい状況でした。会場の公民館の壇上では、婦人会による出し物が行われており、やはり揃いの浴衣で輪になり、歌手の五月みどりさんの名曲「おひまなら来てね」に合わせて踊っていました。
この艶っぽい歌詞も、お年寄りが踊ると、実に大きな破壊力を持つ絵になります。「おひまなら来てよネ/私淋しいの」というフレーズは、「お迎えに来てよネ」と切実に聞こえ、「本当に一人よ/一人で待ってんの」に至っては、もはや独居老人のテーマソングのように響いてきたのです。もちろん、これは決して茶化しているわけではありません。単調な振り付けと、踊る皆さんの真剣な眼差しからは、生の輝きが溢れており、あたかも霊界と交歓するような清廉さすら感じられ、筆者はこの体験に深く感動しました。
筆者は、この時の経験こそが「老いの身体の尊さ」を感じた原点だと考えています。日本の古典芸能、例えば歌舞伎などは、「老いの身体を楽しむこと」だと語られることが少なくありません。歌舞伎の世界では、十代の娘役を八十歳の女形が演じることも珍しくなく、一見すると違和感を覚えるかもしれませんが、若い役者にはない色香と説得力**、そして熟練の技がそこに凝縮されていることがやがて理解できます。「女形(おやま)」とは、歌舞伎において女性の役を演じる男性の俳優のことですが、この年齢を重ねた女形が示す芸の深みは、まさしく年月の積み重ねが成せる技なのです。
こうした芸の世界に限らず、これはすべてのお年寄りに言えることではないでしょうか。確かに、年齢を重ねることで頑固になったり、固定概念に縛られたりする側面もあるかもしれません。しかし、それらの経験や時間こそが、いつか味わいへと変化していくものです。長年の風雪に耐え、角が取れて磨かれたり、あるいは苔(こけ)が生したりした古石のように、その身体は尊いものへと変化していきます。今まで生きてきたという揺るぎようのない事実を身に纏った高齢者の身体は、それだけで一つの物語を孕んでおり、観る者に計り知れない感動を与える力を持っているのです。
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