2019年5月末、米国務省は、ビザ(査証)を申請する際、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のアカウント情報の提供を義務化しました。これは、安全保障上の理由から入国審査を厳格にするための措置と説明されていますが、その影響の大きさから大きな波紋を呼んでいます。私たちの日常生活に深く浸透しているSNSの投稿が、米国への入国を左右する判断材料となる可能性が出てきたのです。
義務化の対象となるのは、FacebookやTwitterといった米国発の主要サービスに留まりません。中国の「微博(ウェイボー)」をはじめとする他国のSNSアカウントも含まれており、過去5年以内に利用したSNSの情報について記載が求められます。米国務省は、提供された情報を「安全保障上の観点」からビザ発給の可否を判断するために用いるとしています。もしアカウントを所有していない場合は「なし」と回答すればよいのですが、虚偽の申告が判明した場合は、ビザが取り消される可能性があるため、決して軽視できるものではありません。なお、現時点では、観光や商用目的で90日以下の短期滞在をする日本人旅行者には米国ビザが不要なため、すぐに影響はありません。また、国家公務員も対象外とされています。
🇺🇸 自由を侵害する「デジタル監視」に高まる批判
この新たな義務化に対しては、米国の人権団体から強い批判の声があがっています。特に人権擁護団体である全米市民自由連合(ACLU)は、米国務省がこの方針を公表した昨春以降、「表現の自由や結社の自由を侵害する」と一貫して批判してきました。ACLUは、これまでも米当局によるSNS監視を問題視しており、2019年1月には、米司法省(DOJ)や米連邦捜査局(FBI)、米国土安全保障省(DHS)などに対し、情報公開を求めて連邦地裁に提訴する事態に発展しています。訴状では、近年発達している人工知能(AI)の一種である機械学習技術などにより、当局がSNSのデータを高速かつ継続的に分析できるようになっているにも関わらず、国民はその監視手法についてほとんど情報が得られていない点を強く指摘しています。
このSNS情報提供の義務化の背景には、2015年にカリフォルニア州で発生した銃乱射事件があります。この事件で、容疑者が過激派組織「イスラム国」(IS)指導者への忠誠を誓う書き込みをFacebookに事前に行っていたことが判明し、政府内でSNSによる個人の身上調査を強化すべきだという声が高まりました。これを受けて米当局は、SNSを監視する専門のソフトウェアを導入したり、専用の組織を立ち上げたりするなど、対応を強化してきたのです。
一方で、米国では、かつてのエドワード・スノーデン氏による政府の監視活動暴露事件を契機に、政府がプラットフォーム事業者に対して利用者の情報を開示させることのハードルが高くなっています。今回の措置は、プラットフォームを介さず、ビザ申請者本人から直接、自主的に情報を申告させることで、より有効的にSNS監視を強めようという意図が透けて見えます。
💬 「事実上の検閲」SNS情報による入国拒否の懸念
自主的な情報公開という形であっても、法的な問題は生じないのでしょうか。憲法学が専門の慶應義塾大学教授である山本龍彦氏は、「外国人の出入国管理は、国家の主権として非常に広い裁量が認められている領域であり、今回の変更は米大統領令を根拠としており、権限の範囲内とみなされているようだ」との見解を示しています。しかし、移民法に詳しいある米国弁護士は、この措置は「米国に入国するならインターネット上の発言を監視するという、事実上の検閲宣言」だと強い懸念を表明しています。
提供されたSNSアカウントの情報に基づいたデータ収集や解析、すなわちプロファイリングが行われることで、申請者本人が理由を知らされないまま入国を拒否される事態が起こり得ると考えられます。山本教授は、「これは憲法や国際人権法の観点から見ても、重大な問題を含んでいる」と警鐘を鳴らしています。さらに、米国憲法に詳しい慶應義塾大学法務研究科の横大道聡教授は、「憲法が保障する『結社の自由』には、どの団体に所属しているかを秘匿する権利も含まれる」と述べ、この措置が憲法上の権利と衝突する可能性を示唆しています。
米当局は、ビザの発行において「人種、宗教、政治信条などで差別することはない」と説明していますが、米国ではムスリム系の人々への差別を助長するのではないかという批判や、激化する米中対立の中で中国人へのビザ発給がより厳格になるのではないかという懸念が広がっているようです。
🌍 デジタル時代の「情報と人権」は日本にとっても無関係ではない
このような国家による個人の情報へのアクセスと、憲法や国際人権法が保障する基本的人権とのバランスは、デジタル時代における国際的なルールを構築するうえで、避けて通れない重要な論点の一つです。日本国内でも、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が運営するポイントカード「Tカード」の利用情報が、裁判所の令状なしに捜査当局に提供されていたことが議論を呼びました。この事例は氷山の一角であると考えられ、個人情報保護に対する意識が高いヨーロッパの各国当局からは、より一層の権利保護を求める声があがっています。
今回の米国のSNS監視強化の動きは、特定の国や地域だけの問題ではありません。国境を越えて個人の情報が国家によって監視・利用される時代において、私たち自身が「表現の自由」や「プライバシー」といった基本的人権をどのように守っていくのか、その意識を高めることが求められています。これは、私たち日本人にとっても決して他人事ではない、喫緊の課題だと言えるでしょう。
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