近年、日本のスタートアップ業界では、資金調達の状況に大きな「ねじれ現象」が生じています。2018年、国内外のベンチャーキャピタル(VC)から国内のスタートアップ企業へ投じられた資金の総額は、5年間でなんと約4倍にまで急増し、4,481億円という巨額に上りました。これは、大企業が自社の事業との相乗効果(シナジー)を狙って投資するコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)の台頭も背景にあると考えられます。しかし、その一方で、資金調達に成功したスタートアップ企業の数は、2017年と比較して14%も減少し、1,426社に留まりました。これは、過去10年間で初めてのマイナス成長であり、「カネ余り」と言われる状況下で、なぜ投資を受けられる企業が減っているのか、その背景を探ります。
この投資のアンバランスを生み出している最大の要因の一つは、VC側の「目利き」不足にあると指摘されています。VCは、投資家から集めた資金をスタートアップに投じ、高いリターンを確保しなければならない宿命にあります。資金総量が急激に膨れ上がった結果、確実な利益を生み出すプレッシャーが高まっており、リスクを取って未開拓の有望企業を見つけ出すよりも、すでに成長し始めていて周囲の評価も高く、投資リスクが比較的低い「勝ち馬」企業へ資金を集中させる傾向が強まっているのです。本来、VCの役割は、評価の定まっていない技術やビジネスモデルを持つスタートアップに、高いリスクを取って資金を投じることで、イノベーションの創出を促すことにあります。しかし、投資先を適切に評価できるキャピタリストなどの人材の育成が、資金の増加スピードに追いついていません。
現に、スタートアップ経営者からは「VCが新規開拓に積極的に取り組んでいるようには見えない」との声が上がっており、結果的に大手VCも独立系VCも、皆が「勝ち馬に乗る形」になっていると厳しい意見も出ています。もちろん、グローバル・ブレインのように、キャピタリストや会計士といった専門人材の採用を強化し、目利きとしての力を磨き続けるVCも存在します。しかし、業界全体として、資金量を増やしながらも、それに伴う人材の増強や投資スキルの向上が追い付いていないことが、投資機会の均等な配分を妨げていると私は考えます。
資金調達企業が減少しているもう一つの重要な背景として、1社あたりの資金調達規模が大型化している点が挙げられます。特にインターネット関連事業、金融と情報技術が融合したフィンテック、そして人工知能(AI)といった先端分野では、事業の難易度が格段に上がっています。巨大IT企業が市場で高いシェアを占める中で、後発組が競争力を獲得するためには、高度な開発、人材確保、そして大規模な宣伝活動が必要不可欠となり、結果として1社に必要な資金が膨らむ傾向にあります。2018年における1社あたりの平均調達額は、アベノミクスが本格的に始まった2013年と比較して約3倍にまで増加しています。特に、10億円以上の大型資金調達を行った企業は88社と、7倍にも急増しており、これにより、他の多くのスタートアップに資金が回りにくくなっているのです。
この傾向は、きめ細やかな支援の必要性を高めています。コーラル・キャピタルのジェームス・ライニー共同代表が語るように、市場環境は法規制への対応を含めて目まぐるしく変化しており、VCは単に資金を出すだけでなく、経営の深い部分まで入り込んだ支援が不可欠となっているのでしょう。大型調達が増えるのは、事業の成長を加速させる上で非常に良い傾向ではありますが、一方で、スタートアップ全体の裾野を広げ、多くのイノベーションの種を育てるという観点からは、投資機会の偏りは懸念すべき事態だと考えられます。
📈スタートアップ側の「IPOを急がない」戦略がもたらす影響
さらに、この「ねじれ構造」の背景には、スタートアップ企業側の戦略的な判断も影響しています。近年、多くの有望なスタートアップは、新規株式公開(IPO)を急がず、VCからの資金調達を増やしながら、じっくりと事業を成長させる路線を選択しています。たとえば、アプリ開発クラウドを提供するヤプリの庵原保文社長は、当初2019年中のIPOを検討していたものの、事業のさらなる成長のために、上場時期を1~2年後に遅らせる意向を示しています。同社は、エイトローズベンチャーズジャパンなどからの増資により、近く約30億円の資金を得る見込みです。ヤプリのように、アパレルや飲食、小売といった分野の**電子商取引(Eコマース)**を支える機能を強化し、売上高の拡大を優先する企業が増えています。
彼らがIPOを急がない理由の一つは、上場後に機関投資家から十分な投資を受けるには、会社の規模がまだ足りないと感じているからです。マザーズ市場では時価総額100億円前後で上場する企業が多い中で、「500億円以上は必要」と考える経営者もいるのです。事業を大きく成長させてから上場を目指すという戦略は、合理的で非常に前向きな判断だと言えます。しかし、一方で、市場の監視を受ける上場によって資金を得るというプロセスを経ないと、企業統治(ガバナンス)が働きにくくなるという側面もあります。このように「カネ余り」の状況下にある今だからこそ、VCもスタートアップも、ただ資金を集めたり投じたりするだけでなく、自らを厳しく律する姿勢が求められているのではないでしょうか。
この一連の動きに対して、SNS上でもさまざまな反響が見られました。「結局、投資家もリスクを嫌うようになっている」「『目利き』の育成は急務だ」といったVCの人材やリスク許容度に関する意見のほか、「一部の企業に資金が集中することで、真のイノベーションの種が枯れてしまうのではないか」といった懸念の声も目立っています。成長著しい日本のスタートアップ市場ですが、資金の増加と企業の質の向上を両立させるためには、VC業界の構造改革と、より多くの有望企業を発掘し支援できる土壌作りが、今後の大きな課題となるでしょう。
コメント