他県の小学校で教員をしている旧友に久しぶりに再会し、私が理科専科教員であることを伝えたところ、「どうした、干されているのか」という意外な反応が返ってきました。実は、専科教員に対する世間の印象は、残念ながらあまり芳しくないようです。指導力が不足していたり、問題行動があったりする教員を、学級担任から外し、特定の教科の授業だけを担当させる「不適格教員の行き場」と見なされるケースがあると聞きます。しかし、私は断じて、専科教員がそうしたネガティブな役割を担う場ではない、と考えています。
専科教員とは、特定の教科に特化して指導を行う教員のことで、理科や音楽、図画工作などで配置されることが多いです。この配置は、教科全体を見渡し、複数の学年にわたる系統的な指導を行うために、高い専門性が必要とされています。私にとっての専科教員の理想像は、10年以上前に目にした、ある先輩の理科の授業にあります。それは小学6年生の2学期に行われた、水溶液に関する学習での出来事でした。
授業では、希塩酸に溶かした金属がどうなったのかを子どもたちが考えました。議論は白熱し、「5年生で食塩を水に溶かした時、食塩は溶液中に残っていたから、金属も希塩酸の中に残っているはずだ」「いや、1学期にたんぱく質を熱した時は炭素に変わった。今回も別の物質に変化しているのではないか」といったように、子どもたちは過去の学習内容を総動員して意見を交わしました。この「過去の学習をフル活用した議論」こそが、私が「真の学び」だと感じた瞬間でした。
この先輩の授業が素晴らしかったのは、文部科学省が推進する「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニングの視点を取り入れた新しい学習スタイル)を既に体現していたという点だけではありません。最も価値があるのは、教員が「学ぶに値する内容」を精選し、子どもたちに教えてきたという点に尽きます。例えば、このクラスの子どもたちは、学習指導要領の範囲を超えて金属の特徴(光沢があることなど)を学んでいたため、水溶液を蒸発させた後に現れた白い固体を見て、それが金属ではないと瞬時に判断できたのです。
また、「たんぱく質の加熱」に関する学習も、本来教科書では扱われない内容でしたが、生き物の体に炭素が含まれることの理解につながる重要な概念です。このように、教員が何を教えるべきか、その土台として必要な概念は何か、とことんまで深く考え抜いて指導していたからこそ、子どもたちの深い議論が生まれたのです。教科全体を見渡したうえで、複数学年にわたる系統的な指導を展開するには、まさしく高い専門性が必要不可欠でしょう。
私は、この先輩の授業を目標に、専科教員としての実践を日々重ねています。SNS上でも「専科の先生がいると、授業の質が全然違う」「専門性の高い先生に教えてもらえるのは、生徒にとって大きなメリット」といった肯定的な意見や、「専科教員をもっと増やしてほしい」という要望も見受けられ、その重要性は認識されつつあるように感じています。私は、専科教員であることに大きな誇りを感じていますし、「干されている」という偏見を払拭するような、価値ある教育をこれからも提供し続けていく決意です。専科教員は、特定の教科について系統的な指導を設計し、子どもたちの思考を最大限に引き出す、教育の質を高めるための重要な役割を担っている、と強く主張したいです。
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