宝塚歌劇団の小川友次理事長(62歳、当時)は、まさに「現場の人」として知られています。劇場内でタカラジェンヌとすれ違うたびに、彼女たちが自然と笑顔で雑談を始める様子は、小川理事長がどれほど現場の団員一人ひとりの状況に気を配っているかを物語っていると言えるでしょう。この「現場で顔を見て、元気にしているか確認する」という姿勢の原点には、若い頃に打ち込んだ野球、特に大学時代に所属した慶應大学の体育会野球部での経験が深く関係しているそうです。
小川理事長は、慶應大学野球部ではレギュラーではありませんでしたが、4年生の時に新入生チームの監督を任された経験を持っています。この時の全体監督であった福島敦彦さんの「末端まで目を配る」熱い指導姿勢が、リーダーとしての礎を築いたと振り返っていらっしゃいます。大きな組織では、レギュラーでない補欠の部員の方が圧倒的に多く、彼ら一人ひとりが抱える悩みや人生に耳を傾けることこそが、真の指導者に求められる姿勢だと、福島監督の姿を通して強く感じられたそうです。
大学卒業後、1983年に阪急電鉄に入社してからも、プロ野球の阪急ブレーブスに広報担当として出向し、野球との縁は続きました。当時の上田利治監督もまた、勝負に徹する情熱的な指揮官でありながら、非常に勉強熱心な方でした。監督は安岡正篤氏の『東洋思想十講 人物を修める』といった古典を読み込み、読み終えた本を小川理事長に渡すことで、将来の球団幹部としての勉強を暗に促していたと言います。この時に学んだ「目先にとらわれず長い目で見る」「物事を多面的に見る」「根本的に考える」という東洋思想の原則は、現在の宝塚歌劇団のリーダーとしても肝に銘じている教えだということです。上田監督からは、人の上に立つ者には熱い思いと同時に冷静な判断力も不可欠だと教えられたと感じていらっしゃるのですね。
💡野球と宝塚!一見異質な世界に通じるリーダーシップの法則
男臭い野球の世界と、女性だけで構成される華やかな宝塚歌劇団。一見全く異なる世界ですが、小川理事長は「組織のシステムがよく似ている」と指摘しています。野球の「クリーンアップ(打線の中心を担う打者)」や「エース(最も信頼される投手)」は、宝塚歌劇の各組のトップスターに相当し、ともに組織の顔です。しかし、そこには入団年次による厳格な上下関係も存在します。重要なのは、トップスターやエース級を、周囲がいかに支えられるかという点です。組織全体が一丸となって支えようと燃えているチームこそが強く、その組織をまとめるリーダーには、福島監督や上田監督から学んだ熱さと冷静さが求められると感じていらっしゃるようです。
私が思うに、この「現場感覚」と「末端への目配り」こそが、小川理事長の最大の強みではないでしょうか。組織のトップに立ちながらも、常に現場の声に耳を傾け、末端の団員一人ひとりの「人生」と「悩み」を慮る姿勢は、現代の企業リーダーにも通じる普遍的なリーダーシップの真髄と言えます。特に、女性のみで構成される宝塚という特殊な組織においては、メンタル面も含めた細やかな配慮が、より大きな力を生み出す鍵になるに違いありません。
小川理事長が阪急ブレーブス時代に味わった苦い経験、それは日本シリーズに進出しながらも球場が満員にならなかったという事実です。選手たちから「日本シリーズでも入らないのか」と言われたつらさは、今もなお胸に強く残っているそうです。この経験があるからこそ、「満員の劇場で団員を舞台に立たせたい」という思いは人一倍強く、宝塚歌劇団のリーダーとなった今、最大の使命として感じていらっしゃるとのことです。かつてはお客様がなかなか来てくれない時代もあった宝塚を、満員御礼の劇場に変えていくという強い執念は、このブレーブス時代の原体験から来ているのですね。
その挑戦の第一歩として、作品の革新が挙げられます。小川理事長は「宝塚は作品ありき」という信念のもと、理事長就任後、新作を次々と発表してきました。特に2015年の『ルパン三世』や2016年の『るろうに剣心』といった、アニメやコミックを原作とする、それまでの古典的な作品とは一線を画した意欲作への挑戦は大きな反響を呼びました。これらの取り組みは、既存の宝塚ファンに加え、新たな客層の獲得にも成功したと言えるでしょう。SNS上でも「るろ剣の宝塚化は意外だったけど、完璧な再現度で感動した」「ルパン三世のキャスティングが神すぎる」など、新しい試みに対する好意的な意見が多く見受けられました。
この挑戦の覚悟について、小川理事長は、トヨタ自動車の名誉会長である豊田章一郎氏との会話から、改めてその重要性を再認識したと言います。豊田氏から「宝塚歌劇の競争相手はどこだ?」と問われた小川理事長は「お客様だと思っています」と答えました。これは、いかに良い作品をお客様に見てもらえるかに尽きるという考えからです。すると豊田氏も「トヨタもそうなんだよ。しようもない車を出したらトヨタだって潰れるんだよ」と応じられたそうです。世界のトップ企業であるトヨタのリーダーが、そこまで強い危機感を持ってお客さまと向き合っていることに、小川理事長は背筋が伸びる思いだったと語っています。
一方で、営業面では、チケット価格の一部値上げを発表しましたが、S席以下は1万円以内を死守し、A席とB席は据え置きとするなど、できるだけ多くのお客様を迎え入れるためのギリギリのラインを追求しているとのことです。2019年は宝塚歌劇団の創立105周年にあたります。今こそ満員が続いていますが、これを当たり前だと思ってはいけない、と小川理事長は警鐘を鳴らしています。特に、苦しい時代を知らない若い団員やスタッフに対し、「座席が赤(空席)いと言われた時代があった」ということを伝えるのも、自らの重要な役目だと認識していらっしゃるようです。これまでのファンを大切にしつつ、新しい顧客にも魅力を感じてもらえるような作品作りを心がけ、現場を育てていきたいという熱い思いが伝わってきます。
ちなみに、小川理事長は野球との縁が深い人生を送りながらも、気分転換はウォーキングや音楽鑑賞だそうで、最近はフレンチポップを聴いているそうです。『シェルブールの雨傘』の音楽を手掛けたミシェル・ルグラン氏との出会いもあり、フレンチポップの音楽的系譜の面白さに惹かれているとのこと。自然と仕事の話に戻ってしまうあたりに、宝塚歌劇団にかける情熱の深さを感じさせてくれます。
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