アイヌ文化アドバイザーである弓野恵子(きゅうの・けいこ)さんが、ご自身の母である遠山サキさんの波乱に満ちた生涯を綴った聞き書き『アネサラ シネウプソロ』が、このたび地湧社から刊行されました。サキさんは1928年(昭和3年)に北海道浦河町姉茶地区で、北海道に古くから住む先住民族、アイヌ民族として誕生し、生涯を通じて民芸品制作や古式舞踊、言語といったアイヌ文化を伝える活動の先頭に立ち続けた人物です。サキさんの人生に深く関心を抱いた研究者が、たびたび浦河の自宅を訪れ、昔の体験を熱心に聴き取り、記録に残すことがありました。しかし、それらが文章として公表されるとき、和人(シャモ:アイヌ以外の日本人を指す言葉)からの差別や、辛い経験が中心となって語られることがほとんどだったといいます。
サキさん自身の口から、喜びや悲しみ、怒り、楽しみ、つまりは喜怒哀楽のすべてを含んだありのままの言葉で、人生の記憶を後世に残したい。そのような強い思いから、2012年(平成24年)に長女の弓野さんが、当時80歳を超えていたサキさんの記憶を記録する「聞き書き」を開始しました。テープレコーダーを回しながら、「幼い頃はどのような毎日でしたか?」と弓野さんが問いかけると、サキさんは、母・サヨさんを「ハポ」、父・善太郎さんを「オトウ」と呼んでいたこと、ハポは働き者で賢い人だったと伝え聞いていることなど、鮮明な記憶をまるで昨日のことのように語り始めました。
サキさんが4歳のときにお母様を亡くし、母の姉であるサトさんのもとに引き取られました。サキさんが「おっかちゃん」と呼んだサトさんは大変厳しい人で、サキさんは煮炊きや掃除などの家事、さらには子守奉公まで、休む間もない日々を送っていたといいます。8歳で入学した姉茶尋常小学校はアイヌ民族の児童専用の学校でしたが、3年生の時に廃校となり、新しく通うことになった学校では和人の子どもたちと机を並べることになりました。その共学の場で、アイヌの子どもたちは「汚い」「頭が悪い」などと、ひどい言葉でいじめられたそうです。そうした経験から、サキさんは当初「シャモ」というだけで嫌悪感を抱いていたものの、19歳で「アイヌに育てられたシャモ」の男性と結婚されました。この男性こそが弓野さんのお父様で、ご自身も5歳の時に養子に出された苦労人でした。のちにサキさんは「今になって思えば、お父さんと一緒になって本当に良かった」と振り返るほど、良い縁に恵まれたのでしょう。
アイヌの心に目覚めたきっかけと伝統文化への情熱
ご夫婦は6人のお子さんに恵まれ、子育てに加えてコメ作りなど日々の生活に追われていた若い頃は、アイヌの民俗文化に目を向ける余裕はなかったそうです。子育てが一段落した40代後半から、サキさんは故郷の姉茶に住む浦川タレさんというフチ(アイヌ語で「おばあさん」という意味)に弟子入りし、手仕事を習い始めました。オヒョウの木の皮を撚った糸で織る伝統織物であるアットゥシ織や、木の皮で編んだ肩掛けの刀下げであるエムシアッなど、アイヌの伝統工芸品制作に取り組むようになったのです。手仕事の基本となる「カイカ」(糸撚り)の練習は大変だったようで、「田んぼの草取りをして、あぜ道で一休みするわずかな間にも、その辺に生えている草を使って糸をより合わせる練習をしていた」と、当時の苦労を懐かしそうに語っていらっしゃいました。
この手仕事が、サキさんの人生の転機をもたらします。50歳を迎える直前、地元の民芸品コンクールに刺しゅう入りの鉢巻きであるマタンブシを出品したところ、見事に賞を受賞されました。この受賞がきっかけとなり、「アイヌ(民族の心)に目覚めることができ、自信が持てるようになった」と語っています。続いて制作した背負い袋のサラニップでも入選を果たし、「物づくりがとても面白くなった」という気持ちが湧き上がったそうです。そして、この制作活動の延長線上で、アイヌの伝統的な民俗行事や舞踊にも関心を持つようになり、やがてご自身も踊り手として活動するようになりました。
サキさんが16歳になるまで、故郷の姉茶では、神様であるヒグマの魂を天に送る神聖な儀式であるカムイイヨマンテが続いていました。男性たちが神への祈りを捧げる中、フチ(おばあさん)たちが「ハンロー、ウッサ、ハンロー」と輪唱しながら踊るその光景は、神からの食糧の恵みに感謝を捧げる、子ども心にも「本当にすばらしいものだった」と記憶に深く刻まれていたようです。サキさんが文化継承に情熱を注いだ背景には、幼い頃に見たこのような故郷の美しい伝統文化の記憶があったに違いありません。
三世代で繋ぐ伝統と教え、そして『アネサラ シネウプソロ』
弓野さんの二人の妹さんも、サキさんの血を受け継ぎ、機織りなどのアイヌ伝統工芸に携わるようになりました。2003年(平成15年)には名古屋で「ウウヌコルタラ(アイヌ語で「親子」の意)三世代展」を開催して以来、サキさん、弓野さんたち姉妹、そしてその子どもたちの作品を紹介する「シネウプソロ(アイヌ語で「ひとつのふところ」の意)展」を全国各地で開催し、文化の継承に尽力していらっしゃいます。サキさんは2018年(平成30年)12月にこの世を去られましたが、生前、電話口でよく「ピリカ、ケゥトゥム、アリシクプアンナー(良い心で生きていけよ)」と娘たちに語りかけていたといいます。嫌なことがあっても決して怒らず、常に静かで穏やかな心でいることが大切だというサキさんの教えを、弓野さんはその一生を振り返ることで、ようやく深く理解できるようになってきたと語られています。
この聞き書きは、2019年(令和元年)に入り、『アネサラ シネウプソロ』として一冊の本にまとめられました。この書籍は、サキさんの喜び、哀しみ、そして差別という厳しい現実に直面しながらも、アイヌ文化への誇りを持ち、力強く生きた一人の女性の人生を、娘の視点から愛情深く描き出した珠玉の記録であるといえるでしょう。SNS上でも、このサキさんの生き様と、アイヌ文化への貢献に対する尊敬の念を示すコメントが多く見られ、「差別と闘いながら、文化を守り続けた強いアイヌ女性の物語に胸を打たれました」「次世代に繋ぐことの大切さを改めて感じました」といった反響が寄せられています。私はこの記事を編む編集者として、この本が単なる伝記としてだけでなく、現代社会が抱える差別や文化継承という普遍的なテーマについて深く考えさせてくれる、貴重な一冊であると確信しています。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと心から願っています。
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