2019年6月22日に公開されたこの記事は、旅の思い出を形にする「お土産」という行為に秘められた、奥深い人間の「想い」について綴られています。筆者の木ノ下裕一さんは、移動中の新幹線内で修学旅行生が隠し持ったお小遣いのことで先生に疑いをかけられる場面に遭遇されました。旅の終わり、帰り道という旅情に浸るべき瞬間なのに、生徒も先生も気が気ではない様子。幸い、その疑惑は濡れ衣(ぬれぎぬ)だったと判明し、筆者だけでなく、その場にいた人々も胸をなでおろしたことでしょう。この一件から、誰もがあらぬ疑いをかけられた経験を持つ友人のことを思い出すものです。
筆者の記憶に鮮やかに残っているのは、中学時代の友人、寺内(てらうち)君です。彼は、映画『スタンド・バイ・ミー』に登場するバーンというキャラクターを彷彿とさせる、色黒でふっくらとした体形で、甘いものに目がなく、犬が苦手という個性的な少年でした。彼の修学旅行での最大の目的は、訪れる先々でキーホルダーを買い集めること。一つや二つどころではない、まるで「大人買い」や、当時注目され始めた「爆買い」という言葉がぴったりなほどの、驚くべき買いっぷりでした。その結果、彼のリュックサックは数十個のキーホルダーの重さで肩に食い込み、歩くたびにジャラジャラという鈍い音を立てるほどになったといいます。
旅の最終日、最後の観光地である富士山五合目のお土産物屋さんで、棚に並ぶキーホルダーを全種類手に入れた寺内君は、先生から呼び止められてしまいました。彼の大量のキーホルダーこそが、規定外の「へそくり」を隠し持っている証拠ではないかという疑いをかけられたのです。クラス中に緊張が走ったものの、彼の鞄から出てきたのは、本当に大量のキーホルダーだけ。お小遣いの全額をキーホルダーにつぎ込んでいたことが分かり、先生の疑念は晴れました。しかし、旅行中ずっとキーホルダーしか買っていなかったことが判明した彼は、今度は別の意味でクラスの注目の的となってしまったのです。
この時のことについて、寺内君は周りには何も語りませんでしたが、バスで隣に座っていた筆者にだけ、その理由をそっと打ち明けてくれたそうです。彼のお父さんは長距離トラックの運転手で、年の3分の2以上は家を空けている生活。小学生の頃にお母様を癌で亡くして以来、彼はお兄さんと二人で留守番をしています。そして、お父様が買って帰るご当地キーホルダーが、彼の勉強机の前に大切に飾られたコレクションだったのです。家族へのお土産なのか、自分用なのかという筆者の問いに、彼は「わかんない」と困ったように答えたといいます。
お菓子や絵葉書、ご当地グッズなど、お土産の品物そのものは、往々にして取るに足らない「たわいもないもの」かもしれません。しかし、そこに誰かを思う「想い」が込められると、その品物は一気に「特別なアイテム」へと昇華します。大好きな人に喜んでもらいたい、楽しい旅の記憶を形として残したい、そういった気持ちがお土産選びの原動力となっているのでしょう。私たちは「物」を買っているのではなく、その向こう側にある大切な「誰か」や「何か」を見据えて、お土産を手に取っているに違いありません。
筆者は、寺内君が大量に買い集めたキーホルダーは、もしかすると、彼自身が受け入れざるを得ない「自分の日常」に対する「お土産」だったのではないかと考察しています。家にいないお父さんとの絆、亡きお母さんへの思い、そして、それらを胸に日々を生きる自分自身を支えるための、ある種の精神的なお土産だったのかもしれません。この解釈は、物質的な価値を超えた、お土産の持つ深い意味を教えてくれるでしょう。
🎁「死に土産」と「生き土産」が示す、人生の輝き
この記事に寄せられたSNSなどの反響では、「たわいもないものに想いが乗るという表現が素敵」「キーホルダーの裏にある彼の気持ちに胸が締め付けられた」といった感想が多く見られました。特に、お土産の持つ「想い」の重要性や、寺内君の純粋な行動に心動かされた読者が多かったようです。こうした読者の声からも、私たちがお土産に込める感情がいかに深く、普遍的なテーマであることが分かります。
そして、筆者が最後に触れているのが、今年米寿を迎えるというお祖母様のエピソードです。お祖母様は最近、花見も、珍しいお菓子を食べることも、一緒にスーパーへ買い物に行くような日常の出来事も、すべてを「これも死に土産」と表現するようになったといいます。これは、人生の終わりに近づく中で、今この瞬間のありふれた日常こそが、後世に残すべき「置き土産」として、あるいは、ご自身が「忘れない」ようにするための「生き土産」として、きらきらと輝いて見えている状態なのでしょう。この「死に土産」という言葉は、すべての日常が、いつか失われる大切な思い出になるということを示唆しています。
筆者は、お祖母様と過ごす何気ない日常のすべてを「忘れないでおこう」と誓っています。その「死に土産」は、同時に私たち家族への「置き土産」でもあるからです。この話は、キーホルダーに日常への想いを込めた寺内君の行動にも通じます。つまり、お土産とは、楽しい記憶や、感謝の気持ちといった「想い」を、時間や距離を超えて受け継ぐための、私たち人間の英知が生み出した素晴らしい文化なのかもしれません。私たちは、誰かとの繋がりを求め、日常を大切にしようとする「生きる力」を、土産という形で表現し続けているのではないでしょうか。
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