企業会計を取り巻く状況が今、大きな転換期を迎えています。監査法人が特に重視した項目を監査報告書に明記する「監査上の主要な検討事項(Key Audit Matters:KAM)」の早期適用が2020年3月期から始まるといった制度変更に加え、海外では大手監査法人グループによる市場の寡占(かせん)状態が問題視され、組織解体の議論すら浮上するほどの激動ぶりです。こうした中、監査の現場では、企業の不正リスクを瞬時にあぶり出す人工知能(AI)監査が実用化され始め、資本市場のインフラともいえる会計の未来図を塗り替えつつあるのが現状でしょう。
例えば、「営業チーム以外が売上高の過大計上に関わっている兆候はありますか?」という公認会計士の質問に対し、AIが「はい。オフィスの退出時間やメールを暗号化している点などから、複数のメンバーが関与している可能性が高いです」と音声で即座に回答する――。これは国際会計事務所KPMGが開発を進めているAI監査システム「クララ」のイメージです。KPMGは2023年ごろの本格展開を目指していると言います。
この「クララ」の最大の特徴は、企業の基幹業務システムと常時接続し、日次の売上高、経費、利益といった会計データだけでなく、契約書やメールの内容、さらには社員のオフィス入退出記録まで、極めて広範なデータを独自に分析できる点です。これにより、24時間リアルタイムで会計不正の有無をチェックし、その結果を業務報告書として企業経営者に提供する仕組みとなっています。すでにドイツでは約200社、日本国内でも約20社に試行版が導入されている状況です。あずさ監査法人の丸田健太郎パートナーは、技術的な側面は既に確立されており、2023年にはこのような監査が広範囲で実現可能になるとの見通しを示しています。これは、決算後に監査法人が財務諸表を事後的にチェックする従来のやり方から、企業と監査法人がシームレスに繋がり、常時モニタリングと点検を繰り返す未来型の監査への変革を意味するでしょう。
同様に、EY新日本監査法人も独自開発の不正検知システムを積極的に活用しています。このシステムは、企業が保有する数億件もの仕訳データなど膨大な情報を分析し、売上高や在庫の増減などに不自然な動きがないかを検出します。2018年度の会計監査では約100社で利用され、そのうち数社に1社の割合で、売り上げ計上のタイミングや頻度などに「異常値」を検出しました。異常値が直ちに不正を意味するわけではありませんが、会計士は不正リスクに気づきやすくなり、担当者への聞き取りや資料の精査へと繋げることが可能になります。市原直通パートナーは、「AIの導入によって、不正を発見する効率と確実性が格段に向上した」と、その効果を強調しています。
なぜ今、AI監査の導入が急速に進んでいるのでしょうか。その背景には、大きく二つの理由が挙げられます。一つ目は、会計業界における深刻な人手不足です。公認会計士試験の受験者数が伸び悩み、合格者も低迷している一方で、東芝などの会計不祥事を経て、公認会計士には企業の不正会計を見抜くという社会的要請が一段と強まり、監査時間や業務量が年々増加しています。二つ目は、まさにこの社会的な要請への対応でしょう。大和証券の高橋和宏氏は、「AI監査によって不正の芽が早期に摘み取られ、開示される情報の正確性が高まれば、資本市場全体の効率性も向上する」と指摘しており、透明性の高い資本市場を築くための強力なツールとして期待されていることが分かります。
また、AI監査は監査法人だけでなく、企業側にとっても非常に有効な手段です。企業のグローバル化が進展し、M&A(合併・買収)による組織再編が相次ぐ中で、本社管理部門がグループ会社全体の経営実態を正確に把握することは非常に困難になっています。そこで、AIの仕組みを活用し、グループ全体の内部管理体制を強化する企業が増加しているのです。例えば、武田薬品工業の内部監査部門では、米国や欧州などの各拠点に、内部監査とデジタル技術に精通した専門家を数人ずつ配置しています。彼らは売上高や経費などの詳細データを継続的に把握し、不自然な動きがないかをチェックする体制を構築しています。
内部監査の担当者は、「経費が大きく変動していますが、具体的にどのように新規顧客を獲得しているのですか」といった、より深い質問を営業担当者に投げかけることができるようになりました。内部監査部門のデジタル化を推進する五十木浩之氏は、「これまで日本企業は海外子会社の管理に苦慮してきましたが、AIを導入することが、海外子会社に対する管理体制を強化する大きなきっかけになるでしょう」と述べています。このように、AIは企業のガバナンス強化にも寄与する可能性を秘めているのです。
📚AI監査の実運用における課題と未来への展望
しかし、AI監査のポテンシャルを最大限に引き出すためには、いくつかの課題も存在します。最も重要なのが「データ収集」の難しさです。企業から有効かつ正確なデータを得られなければ、AIはその能力を十分に発揮できません。「また空振りか」と、あずさ監査法人のデータサイエンティストが、あるメーカーの月次販売分析結果を見てため息をついた事例もあります。AIは正常に稼働しても、元となるデータを正しく入力していない子会社が複数存在したために、分析ができなかったというのです。
日本企業では、親会社と子会社の間でシステムが統一されていなかったり、現場で使いやすいようにデータを加工してしまうケースが多く見受けられます。さらに、「セキュリティの観点から、工場などの現場データにリアルタイムでアクセスすることが難しい」といった声も、三菱ケミカルホールディングス先端技術・事業開発室の浦本直彦氏から聞かれます。AIという技術的な基盤は整いつつあっても、データをどのように収集し、活用するのかという点について、企業や関係者間での意識共有はまだ道半ばと言えるでしょう。
また、AI監査はあくまで補助的なツールであり、万能ではありません。不正検知の精度を高めるためには、最終的に公認会計士による専門的な判断や監査品質向上のための努力が不可欠であることは紛れもない事実です。しかしながら、業務効率化と不正リスクの早期発見という両面から見て、AIを活用した監査への流れは今後も加速していくに違いありません。投資家にとって真に有用な監査結果を導き出すため、会計士はAIとの協働を通じて、より高度な知恵と洞察力を絞り出す必要に迫られているのです。また、AIを搭載したドローンを倉庫内に飛ばし、在庫データを収集して帳簿と照合するといった、先進的な取り組みも既に始まっており、今後の展開から目が離せません。
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