静岡銀行のグループ会社である静銀経営コンサルティングで、M&A(企業の合併・買収)という刺激的な仕事に携わっていた小出宗昭氏に、まさに青天の霹靂とも言える辞令が下ったのは2001年1月25日のことでした。銀行本店で昼食をとっている最中に呼び出され、向かった先で、当時の静銀経営コンサルティングの社長から「今すぐ静銀の人事部に行ってくれ」と告げられたのです。社長自身も当惑した様子で、詳しいことは何も聞かされていないという状況でしたので、小出氏の困惑は計り知れないものだったでしょう。
次に赴いた経営管理部の副部長、中西勝則氏から示されたのは「SOHO静岡」への出向でした。SOHOとはスモールオフィス・ホームオフィスの略で、ここでは「静岡県が開設するベンチャー支援施設」を指しています。通常、出向の内示は数カ月前にあるものですが、「2月1日からここに行ってくれないか」と、わずか数日後の辞令だったため、小出氏はまさに頭が真っ白になったといいます。しかも出向期間は2年間というものでした。
急な人事に納得がいかなかった小出氏が「誰がこんな人事を決めたのか」と食い下がると、中西氏は「上だよ。会長が『小出を出そう』と言っているんだよ」と、当時の会長である神谷聡一郎氏の名前を挙げました。銀行の最高責任者である会長の特命であることを知った小出氏は、「これは特命だ。必ず結果を出せ」という強烈なメッセージに他ならないと悟り、「やばい」という緊張感が心に走ったといいます。
このSOHO静岡は、開設前からメディアなどから「行政に本当にベンチャー企業を支援できるのか」といった懐疑的な見方をされており、入居するベンチャーが少ないという前評判の悪い状況でした。つまり、これは単なる出向ではなく、難題を解決せよというミッションが課された「火中の栗を拾う」人事だったと言えるでしょう。このため、同僚の多くは小出氏の転身を「左遷」と受け止め、開いてくれた送別会も、まるで決意を固める水杯を交わすような雰囲気だったと、当時41歳だった小出氏は振り返っています。私の見解では、これは左遷などではなく、小出氏の実行力と手腕を信頼した上での「期待の特命」だったと強く感じられます。
当時のSNSでの反響を想像すると、「銀行がベンチャー支援に本気?」「行政の施設は形だけになりがちだけど、静銀から人が行くのはガチ」「小出さん、頑張って」といった期待と同時に、「急な異動は大変そう」「前途多難に見えるけど、手腕に期待」といったハッシュタグとともに、驚きや激励の投稿が飛び交っていたのではないでしょうか。
引き継ぎもそこそこに、小出氏は中西氏に付き添われ、静岡県庁や静岡商工会議所などへ挨拶回りを行いました。慌ただしい日々の中で心の整理がつかない状態が続きましたが、行政サイドからは「好きなようにして頂いて結構です」「にぎやかな場所にしてください」と、小出氏への大きな期待が寄せられていることは痛いほど理解できたそうです。しかし、2001年2月1日にSOHO静岡がスタートしたものの、懸念されていた通り、入居するベンチャーの少なさなどから、「開店休業になりそうな雲行き」という前評判が現実となり、目の前が真っ暗になるほどの困難な船出となってしまったのです。
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