日本の伝統陶芸を象徴する樂家の歴史において、当主は代々「吉左衞門」を継承し、引退後に「入」の付く名を名乗ります。十五代樂吉左衞門こと樂直入氏が語る、自身の父・十四代樂覚入氏の素顔は、まさに芸術家としての凄まじい熱量と、人間味あふれる矛盾に満ちていました。1918年(大正7年)に生まれた父は、当時の伝統的な家にありながら東京美術学校(現東京芸大)へ進学を果たすなど、開明的な祖父の影響を強く受けていたようです。
しかし、その若き才能は戦争という悲劇の時代に翻弄されました。美術学校を卒業してすぐ砲兵将校として出征し、戦地で祖父の訃報を受け取るという過酷な経験を経て復員。戦後日本の再出発と共に、27歳で十四代を襲名したのです。当時の父はがっちりとした体格に、ぎょろりとした目、そして道理が通らなければ誰に対しても烈火のごとく怒る激しい性格でした。一方で、誰からも愛される情の厚さも併せ持っていたと言います。
窯の火が引き起こす狂気と家族の絆
父の激情が頂点に達するのは、年に2度行われる「黒樂茶碗」を焼く窯焚きの時でした。「黒樂」とは、樂家の伝統を象徴する茶碗で、十数人の手を借りて20時間近くも窯を焚き続ける壮絶な作業です。真っ赤に焼けた茶碗を次々と引き出し、刻々と変化する火の勢いに即座に対応せねばならない極限状態において、父の闘争心は剥き出しになります。少しでも調子を崩せば、激しい怒声と共に焼きたての茶碗が宙を舞うこともありました。
その光景に周囲は凍りつきましたが、そんな「六分の侠気、四分の熱」を体現する父に対し、長男である直入氏は、自分は全くの対照的であったと振り返ります。1949年(昭和24年)に生まれた彼は、引っ込み思案で弱虫な少年でした。活発で父親似の妹と比べ、両親からは期待と同時に大きな心配の種として見守られていたようです。この時期の複雑な親子関係は、多くの読者の共感を呼んでいます。
SNS上でも「伝統を守る重圧と、その中で育まれる親子の葛藤に胸を打たれる」「天才と言われる人の裏側にある、人間としての激しさと弱さに惹かれる」といった声が寄せられています。特に、高校時代に父から投げかけられた「そんなに線が細いことでは、この家は継げん」という言葉が、後の直入氏の反抗心と、独自の世界を切り拓く原動力になったというエピソードは、多くの人の心に深く刺さっているようです。
私自身、このエピソードから「強くあること」だけが芸術ではないと感じました。父の猛烈な情熱とは異なる、繊細で震えるような感受性こそが、新しい伝統の形を創り上げたのではないでしょうか。恐怖すら抱かせるほど強固な父の影に悩みながらも、それを否定するのではなく、自分らしい生き方を選択する。その静かな意志の強さこそが、陶芸家としての乐直入氏の真髄であるように思います。
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