2019年6月27日、経済政策「アベノミクス」が7年目を迎えるにあたり、その成果と課題について、法政大学客員教授である翁邦雄氏が鋭い視点で分析しています。安倍晋三首相は、このアベノミクスを中核に据え、次々と新たな政策課題を提示してまいりました。その中で、経済の印象を明るく変えた政治的な「勝利」と、本来目指すべき課題達成との間に、大きな「落差」が生じている実態が浮き彫りになっています。
アベノミクスのプロローグとして国内外に衝撃を与えたのは、2012年の第2次安倍内閣発足直前の選挙戦における、野党・自民党総裁としての**「円安誘導」の発言でした。これは先進国としては異例の「明示的な自国通貨安誘導と中央銀行への強い政治的圧力」として報じられ、円の急落と株高を誘発しました。この大胆な発言が、円高トレンド反転のタイミングと見事に一致したことで、経済界に「アベノミクスへの期待」という明るい印象を与え、政権の強力な基盤を築くきっかけとなったことは間違いないでしょう。
アベノミクスはまず、大胆な金融政策、機動的な財政政策、そして成長戦略からなる「3本の矢」というファーストステージで始動いたしました。中でも第1の矢である「大胆な金融政策」**では、安倍首相が日本銀行に対して2%の物価目標の早期達成を強く要求し、2013年4月に就任した黒田東彦総裁のもとで大規模な金融緩和が推進されました。しかし、7年目に入った時点においても、生鮮食品を除いた消費者物価のインフレ率は1%にも届かず、目標達成の目途は立っていません。消費者物価指数(CPI)の上昇率が目標に届かない状況は、SNS上でも「金融緩和の効果は限定的」といった冷めた見方が散見されました。
さらに注目すべきは、政府の姿勢の変化です。麻生太郎副総理兼財務相は2019年3月15日の記者会見で、「2%の物価目標にこだわっているのは記者と日銀だけ」と発言し、日銀との距離感を滲ませました。実際、安倍政権の最近の政策には、携帯料金の引き下げや教育無償化、そして低賃金の外国人労働者の受け入れ拡大など、物価上昇を抑える方向に働くものが目立っています。これは、巨額の債務を抱える政府にとって、物価目標の達成によって金利が上昇し始める事態は好ましくなく、むしろ目標未達のまま「超緩和」が続く現状が「居心地が良い」ことを示唆していると言えるでしょう。つまり、第1の矢の方向性は、もはや「物価目標の早期達成」ではなくなっていると筆者は考えます。
機動的な財政政策と成長戦略の検証
第2の矢である**「機動的な財政政策」は、政府が需要を創出することを意図したものですが、同時に安倍首相は財政再建も重視する立場をとってきました。しかし、アベノミクスの重心は前者にあり、これまでのところ、消費税増税による需要減退リスクを先送りする形でその「機動性」を発揮してきたと言えます。例えば、2014年11月と2016年6月に消費税率10%への引き上げが見送られ、その都度、その後の衆院選や参院選で勝利を収めています。これは、財政再建という喫緊の課題よりも、政治的な安定と選挙での勝利が優先されてきたという側面を示しています。
アベノミクスの成果としてしばしば取り上げられるのが、「労働需給の逼迫」です。失業率の低下や有効求人倍率の上昇は、一見すると経済の好調を示す心強い現象です。ただし、このトレンドは2008年のリーマン・ショック以降、構造的な生産年齢人口の減少が強く作用しながら続いており、アベノミクス単独の成果と捉えるのは早計でしょう。
この人口減少という構造的な課題を乗り越えるために期待されるのが、第3の矢である「成長戦略」、すなわち生産性向上による潜在成長力の底上げです。しかし、経済効率などを測る全要素生産性(TFP)**は、アベノミクスの下で長期的に持続的な低下を続けています。かつては1%程度あった上昇率が、0.1%~0.2%まで落ち込んでおり、期待とは裏腹に潜在成長率を押し下げているのです。 このような状況を踏まえると、真の「成長」の達成は遠のいていると言わざるを得ません。
「新3本の矢」と外国人受け入れの課題
約3年後の2015年9月に打ち出された「新3本の矢」(セカンドステージ)では、「1億総活躍社会」が掲げられ、国内総生産(GDP)600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロ・待機児童ゼロが柱とされました。しかし、これらの達成度にも疑問符がついています。合計特殊出生率は「新3本の矢」が打ち出された2015年の1.45から3年連続で小幅に低下しており、目標値1.8から遠ざかる一方です。また、待機児童数も高止まりが続き、介護離職者数は10年前の約2倍の水準と、課題は解決の目途が立っていません。
待機児童問題については、2016年に「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ投稿が大きな話題となり、社会的な関心が高まりました。これは、子育て支援が叫ばれる一方で、現場の環境整備が追いついていないという、政策と現実のギャップを示す象徴的な出来事でした。これらの目標未達の状況は、SNS上でも「結局スローガンだけでは何も変わらない」「将来が不安」といった諦めにも似た声につながっています。
介護や低賃金の分野での人手不足に対応するため、政府は外国人労働者の受け入れ拡大へと舵を切りました。これは生産年齢人口減少下での苦肉の策と言えますが、十分な議論のないままに改正入管法が短時間審議で成立したことには強い懸念を抱かざるを得ません。1950年代にドイツが導入した有期労働者(ゲストワーカー)制度では、外国人労働者が定住し、異国になじめずにコミュニティーを形成し、結果として社会に大きな摩擦を生んだという歴史的な教訓があります。
日本社会で外国人を孤立させないためには、言語・文化教育の環境整備など、きめ細かくトータルな**「包摂体制(ほうせつたいせい)」の構築が不可欠です。包摂体制とは、社会の構成員すべてを分け隔てなく受け入れ、社会の一員として活躍できるような仕組みや環境を整備することです。しかし、法案の早期成立を急いだ結果、この環境整備が立ち遅れており、本格的な議論が深まっていません。急増する可能性のある外国人は、良くも悪くも社会の姿を大きく変える可能性を秘めており、よりよく共存できる社会の構築は、今や喫緊(きっきん)**の課題でしょう。
安倍首相がかつて、アベノミクスは「『やってる感』なんだから、成功とか不成功とかは関係ない。やってるってことが大事」と述べたとされるように、次々と目標を設定し「やってる感」を醸成することで、政治的な勝利を収めてきました。国際情勢の不安定化の中、トランプ米大統領との親密さを背景とする外交的安定感への期待とも相まって、その政権基盤は極めて堅固に見えます。しかし、掲げられた重要課題の大半は未達であり、むしろ目標から遠のいているものも少なくありません。日本の衰退を防ぎ、長期的な繁栄の土台を築くためには、単なる「政治的勝利」ではなく、重要課題の達成にこそ政策の力を注ぎ込むべきだと、私は強く主張いたします。
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