2019年6月29日の国際情勢は、まさに激動の渦中にありました。このような状況下で、私たちが暮らす日本の安全保障をどのように確保していくのか、その問いへの答えは容易に見つかりませんし、予期せぬ要因も数多く存在しています。しかし、だからといって思考を止めるのは得策ではありません。むしろ、常に多様な可能性を視野に入れ、あらゆる側面から広範な議論を重ねていくことこそが、今、最も重要な責務だと言えるでしょう。
同年6月に大阪市で開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議の機会に、安倍晋三首相とトランプ米大統領は首脳会談を実施し、日米両政府は「同盟を一層強化する認識で一致した」と発表しました。しかし、会談直前にトランプ大統領が表明した、日米安全保障条約(日米安保条約)体制への不満が、この会談だけで完全に解消されたと考えるのは早計でしょう。大統領が指摘したのは「米国が攻撃されても日本は必ずしも助けてくれない」という点であり、これは同盟のあり方について、米国側が抱く根本的な疑問を露呈したものに違いありません。
日本は、在日米軍のための広大な基地用地を提供しており、駐留経費の費用もかなりの部分を負担しています。このため、単純な「安保ただ乗り」ではないと認識されていますが、このような形態の同盟が世界的に見ても非常にまれであることは事実です。トランプ大統領ほど公然とではないにせよ、これまでの歴代米大統領も、日本に対してさらなる貢献を求めてきました。安倍政権が、集団的自衛権を限定的に行使できるように憲法解釈を見直したのは、こうした米国の要求に応じるための一環であると解釈できます。
日本は同時に、米国の軍事的な負担を軽減するため、民主主義や市場経済といった基本的な価値観を共有するオーストラリアやインドといった国々との連携、いわゆるネットワークを構築することにも注力してきました。6月28日の日米首脳会談の直後に、日米印の三か国の首脳会談が開催された事実は、安倍政権が長年にわたり続けてきた外交努力の具体的な表れとして高く評価できるものです。集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国への攻撃と見なして共同で阻止する権利のことであり、日本の防衛における重要な転換点となりました。
日米同盟の転換期と高まる日本の自己責任論
しかしながら、国際情勢の変化は極めて速く、そのスピード感に追いつくことが困難になりつつあります。この当時、中東で発生したタンカー攻撃事件に関連し、トランプ大統領は今週になって、船舶の安全確保は各国の責任であるとの考えを明らかにしました。これは、米国が世界のシーレーン(海上交通路)防衛の主たる担い手であるという従来の役割を、徐々に手放しつつあることを示唆しているかもしれません。シーレーンとは、原油や食料などの重要な物資を運ぶ船が航行する海上ルートのことで、日本の生命線とも言えるでしょう。
現在の自衛隊の能力を鑑みると、弾道ミサイルの飛来に備えることや、離島防衛で手一杯な状況であり、ただちに広大なシーレーン防衛に本格的に乗り出すことは難しい現実があります。仮に、そうした役割を担う必要が出てきた場合、どのような法的根拠で行動するのかという問題が浮上します。具体的には、自衛隊法に定められた「海上警備行動」を適用するのか、「海賊対処法」の範囲で対応するのかなど、法的な整理が全くされていない状況にあるのです。このままでは、国際的な要求に応えようにも、国内法が足かせになりかねません。
このような状況下で、日本がまず取り組むべき外交的な課題は、米国の「内向き志向」に少しでも歯止めをかける努力を続けることです。とはいえ、これまでの形の日米同盟に依存し続けるだけで安心できる保証は、どこにもありません。米国が世界の警察官としての役割から完全に撤退し、日本の防衛における「自己責任論」がより一層高まる事態も現実的に想定すべきでしょう。SNS上では、このトランプ大統領の発言に対し、「やはり日本も独自で防衛力を強化すべきだ」「同盟頼みは限界では」といった不安と危機感を示す声が多く上がっているようです。
私個人の意見としては、私たちは、いかなる事態が起きても動揺することのないよう、外交努力を含め、将来の危険を最小限に抑えるにはどうすれば良いのかを、今から真剣に議論するべきだと強く主張します。タブーを設けず、あらゆる可能性を俎上に載せた論議を進めることで、日本の安全保障の未来を、私たち自身の手にしっかりと引き寄せることができるでしょう。日本の未来を守るためにも、国民全体でこの重要な議論に参加する意識を持つことが求められているのです。
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