19世紀後半の西洋社会を席巻した、ある衝撃的な概念をご存知でしょうか。それは**「変質(へんしつ)」という医学的な考え方です。当時の人々は、人間が肉体的、精神的、そして道徳的に劣化した状態を指すこの言葉に、深刻な関心を寄せていました。社会や国民の存続を脅かす重大な脅威**として、変質者の存在が真剣に論じられていたのです。
なかでも特に大きな注目を集めたのが**「性的倒錯(せいてきとうさく)」でした。現代の視点から見れば、いささかナンセンスで時代錯誤な考え方ですが、当時の精神病理学や性科学の分野では、これを大真面目な研究対象として捉え、多くの論文が発表されたといいます。小倉孝誠氏の著書『逸脱の文化史、規範の侵犯が生み出す文学』は、そうした言説が、いかに当時の文学作品と密接な関係**を結んでいたのかを、鮮やかに論じています。
この時代、生殖に直接つながらない性愛の形を禁忌(きんき)とする強い社会規範が存在していました。しかし、作家たちは、この抑圧的な風潮によって、むしろ創作意欲を刺激されたと言えるでしょう。性を主題とした多様な作品が次々と生み出され、その中には、当時の社会が**「異常」と見なした性愛の喜びに惑溺(わくでき)する人間の姿が描かれています。これは、単なる享楽の描写にとどまらず、社会の抑圧に対する抵抗の意志**、個人の自由を求める強い意思の現れだったのではないでしょうか。
また、社会の規範を侵犯(しんぱん)する人物を主人公に据え、「社会や世界の衰退」というテーマを物語として紡ぎ出すことは、当時の世紀末的な閉塞感や退廃的な気分とも絶妙に合致していました。規範の侵犯がもたらす背徳的な魅力は、時代の不安とあいまって、読者に熱狂的な反響を呼び起こしたことでしょう。SNSがない時代であっても、これらの作品は文学サロンや知識人の間で激しい議論を巻き起こし、当時の文化に大きな影響を与えたに違いありません。
規範と文学の危うい「共犯関係」:変質概念の光と影
しかし、ここで目を背けてはならない危うさも存在します。この変質や異常という概念は、やがて優生思想(ゆうせいしそう)へと繋がりかねない差別を誘発する危険性を内包しています。優生思想とは、特定の特性を持つ人々を優れているとし、そうでない人々を排除しようとする、非常に非人道的な思想のことです。
一方で、「普通でないこと」、常識から逸脱した事柄を好んで描くのは、いつの時代も文学の醍醐味です。社会は規範という名の管理システムで人間を統制しようとしますが、文学はそれに抗うかのように、侵犯という名の物語を欲望するのです。小倉氏の著書は、規範で人間を管理する社会と、侵犯の物語を渇望する文学という、一見対立しながらも、どこか共犯関係にある両者の構造を鮮やかに浮き彫りにしています。この指摘は、文学と社会の関係性を考える上で、極めて示唆に富んでいると言えるでしょう。
私は、この**「共犯関係」こそが、文学の尽きることのない魅力の源泉だと考えます。文学は、社会の建前や理性が抑圧する人間の深い闇や複雑な感情を、逸脱者の物語を通じて描くことで、読者のカタルシスを刺激するからです。しかし、その描写が現実の差別を助長しないよう、常に批判的な眼差しを忘れてはならないと強く主張いたします。2019年6月1日に慶応義塾大学出版会より刊行された本書(税込2,400円)は、文学作品の深層と、その背景にある社会思想の歴史**を深く探求するための、必読の一冊となるでしょう。
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