古都・京都は、単に市街地である**「洛中(らくちゅう)」だけでなく、その郊外、すなわち「洛外(らくがい)」にこそ、筆舌に尽くしがたい魅力的な画題が溢れているのです。都を取り囲む豊かな自然の景観や、都会の周縁ならではの風情ある情景は、古来より多くの画家の創作意欲を掻き立ててきました。近世から近代にかけて、この洛外の美に目を向けた画家たちの軌跡を辿ってみましょう。
中でも、日本画壇の革新を牽引した速水御舟(はやみぎょしゅう)(1894年~1935年)は、東京・浅草生まれという出自から「東京の画家」というイメージが強いかもしれません。しかし、彼の画業において、約4年間にわたる京都滞在がもたらした影響は計り知れないほど多大です。この期間は、御舟自身が後に「群青中毒にかかっていた時期」と振り返る、画風の重要な転換期である「青の時代」と重なるのです。
御舟が描いた代表作の一つに「洛北修学院村(らくほくしゅうがくいんむら)」があります。これは、雄大な比叡山を背景に、山麓に広がる農村の牧歌的な日常の営みを捉えた作品です。見る者の視線は、画面全体をあたかも塗り尽くすかのような、深く濃密な深緑色**に釘付けになるでしょう。滋賀県立近代美術館の学芸員である大原由佳子氏も、「青緑系の絵の具でどのような表現が可能かを御舟が探求していた時期ではないでしょうか」と、その挑戦的な姿勢を指摘しています。この作品は「青の時代」を代表する傑作として、当時から極めて高い評価を得ていたようです。
御舟が京都へと拠点を移したのは、1917年(大正6年)、23歳の時のことでした。前年に敬愛する先輩画家、今村紫紅(いまむらしこう)が脳溢血で急逝するという悲しい出来事があり、その深い失意から立ち直り、新たな一歩を踏み出したいという心機一転の思いが、京都への転居を後押ししたのかもしれません。当初は京都市内の大雲院の塔頭(たっちゅう)に仮住まいした後、姉の姻戚にあたる実業家、大倉孫兵衛氏が所有する京都・東山の別邸へと移り住みます。しかし、御舟は「もつと静かな田舎へ引込みたい」という強い願望を抱き、さらなる静けさと自然を求めていたようです。
この時代の速水御舟の作品は、その深みのある色彩と、伝統的な日本画の枠に収まらない革新的な表現技法が、現代に生きる私たちにも強烈な印象を与えてくれます。特に、この「青の時代」の作品群には、御舟の若き日の葛藤と、新しい表現を追い求めるひたむきな情熱が凝縮されているように感じられるのです。当時の人々が感じたであろう、日本画の新時代への期待感は、今、SNSなどで若者たちが彼の作品に触れ、その色使いや構成を絶賛する反響にも通じているのではないでしょうか。#速水御舟 #青の時代 #日本画革新といったハッシュタグと共に、その鮮烈な色彩美が拡散されています。