🍶**【十四代 誕生物語】入手困難な日本酒「十四代」が切り開いた芳醇旨口**の革新:高木酒造十五代目の命を懸けた酒造り

山形県の老舗酒蔵、高木酒造が生み出した銘酒「十四代」。現在では入手が極めて困難となり、インターネット通販では一升瓶に数万円ものプレミアム価格がつくほどの人気を誇ります。この日本酒の流れを変えたとも言われる「十四代」は、江戸時代から続く蔵の十五代目、高木顕統(あきと)社長が自らの「芯」を問い、命を懸けて探し求めた答えから誕生しました。その裏側には、跡継ぎとして身を削るような葛藤と、先代から受け継いだ確かな味覚、そして人と人との強い絆がありました。

「十四代」というブランド名は、高木社長の父である十四代目の代で登録された商標を用いたものです。高木社長が蔵に戻ることを決意したのは1993年のことでした。80歳を過ぎた蔵の職人たちのリーダーである杜氏(とうじ)が退職することになり、父の辰五郎さんから「お前はどうする?」と電話で問いかけられたことがきっかけです。東京農業大学の醸造学科を卒業後、都内の高級スーパーで酒類のバイヤーとして経験を積んでいた高木社長は、まだ販売現場での経験を積みたいという思いから一瞬悩みましたが、子どもの頃に蔵で感じていた、優しいコメの香りが忘れられずにいました。当時はすっきりとした味わいの「淡麗辛口」が日本酒の主流でしたが、高木社長はどこか違うと感じていたのです。

家業を継ぐ決断を後押ししたのは、父からの電話の数カ月前に居酒屋で出会った、あるお酒の存在でしょう。福島の東山酒造(当時)が造っていた「写楽」という銘柄を飲んだとき、幼い頃に蔵で嗅いだ蒸し米の甘い香りと、ほどよい硬さと旨味を伴うコメの味が蘇ったかのような「大ショック」を受けたと言います。この感動的な出会いが、高木社長の心に皮膚感覚で覚えていたコメの優しさを酒に感じられないという販売現場でのもどかしさを解消し、蔵元の息子としての責任感を勝らせたのでしょう。そして、高木社長は創業400年の歴史を持つ酒蔵へと帰郷することを決めました。

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芳醇旨口の誕生と試練

高木社長が蔵に戻り、まず着手したのは当時の流行に合わせた造りの見直しでした。そして生み出されたのが、現在「十四代」を特徴づけている「芳醇旨口(ほうじゅんうまくち)」と呼ばれる味わいです。これは洗練された綺麗な酒質でありながら、コメの風味が豊かに感じられる、言わば日本酒の新しい潮流を創出した革新的な酒質です。しかし、この銘酒がどのようにして生まれたのか、高木社長ご自身も「ご先祖様しかないですね。一代から十三代までの力がどーんと来たような」と語るほど、奇跡的な巡り合わせの産物であるようです。

「十四代」のルーツには、幼少期に祖父から受け継いだ確かな味覚が深く関わっています。祖父は大変なグルメで、高木社長は食事のたびに隣に座らされ、食材の産地や醤油の銘柄・製法に至るまで、様々な珍味に付き合うことで味覚を養われていきました。また、十四代目である父からは、中学になると家から出され、山形市でいきなり一人暮らしをさせられました。「人生の糧になる人付き合いをしてこい」という父の教えのもと、食事の世話になる隣人夫婦との交流を通して、高木社長は人を大切にする心と、人との交流の大切さを学びました。これらの経験は、単に酒を造る技術だけでなく、人間力を高める上でも大きな糧となったのでしょう。

十五代目として帰郷した高木社長は、経営者である蔵元と技術リーダーである杜氏という、明確に分かれていた二つの要職を兼務するという「型破り」な挑戦を始めました。日本酒の市場が縮小していくという危機感を強く抱いていた高木社長は、「うちはよそに劣っている」と切実に感じていたからこそ、もがき苦しみながらも良い酒を造ろうと誓ったのです。大学で学んだ知識と現場の感覚は大きく異なり、機械に頼らない昔ながらの手作業に戻した当初は失敗の連続でした。木製の小箱での麹(こうじ)づくりを試みた際には、麹が真っ青に変色してしまうなど、一歩間違えれば大損失を招きかねない状況にも直面しましたが、蔵人たちは一切文句を言わず、高木家を思って支え続けてくれました。

心身をすり減らして過労で倒れ、救急車で運ばれることもあったという壮絶な酒造り。初めての酒を父に差し出したとき、「よくやった」という一言をもらった瞬間の安堵感は、計り知れないものがあったでしょう。その後、休む間もなく営業に回り、都内の有力酒販店の社長から「こういう酒を待っていたんだ」と絶賛され、注文は瞬く間に増えていきました。こうして評判が広まり、今日の「十四代」の名声が築かれていったのです。

命を懸けた酒造りから次世代への継承へ

高木社長の「命懸けの酒造り」という言葉は、決して大げさな表現ではありません。2012年、過労が原因で自宅のソファで心停止に陥り、意識が丸一日戻らないという経験をされました。現在、高木社長の左胸には、心臓が止まった場合に作動する植え込み型除細動器(ICD)が埋め込まれています。死を意識した経験の後、懸命な心臓マッサージで命をつないでくれた奥様への感謝の念が深まりました。また、ご自身が思うように働けない時期にも、蔵人たちが数々の賞を受ける酒を造ってくれたことから、「自分ひとりで成し遂げてきたんじゃない」と、支えてくれた人々への感謝を改めて痛感されたのでしょう。

高木酒造の社訓は「聲(こえ)なきを聴き、像(かたち)なきを視(み)る」です。麹菌や酵母は声を出さず、肉眼で一つずつ見ることもできませんが、確かに生きています。この言葉は、目には見えない先祖代々の力や、その時代時代に蔵で働いた人々の思いが、今の酒へと繋がっていることへの敬意と感謝の念を表しているのではないでしょうか。高木社長は、独自の酒米「龍の落とし子」や「酒未来」を開発するなど、伝統を守りながらも革新を続けています。「龍の落とし子」は長男の景元さんの、「酒未来」は次男の碩士郎さんの出生時体重のグラム数を価格にするなど、次世代への継承の思いも込められています。

かつて唯一の弟子であり、現在は「東洋美人」の澄川酒造場・澄川宜史社長という良きライバルも生まれました。高木社長は「誰でも造れる酒は造らない。その代の、その人の味を造る」という信念を持っています。伝統を継ぐ息子たちに対しても、「生きている限りは見守っているから大丈夫、好きなようにやれ」とエールを送ります。高木社長の命と感謝を込めた酒造りは、これからも次世代へとバトンをつなぎながら、続いていくでしょう。

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