かつてないほどの激しい対立が表面化しているアメリカ社会ですが、実は建国以来、この国は常に意見の不一致を抱えてきました。むしろ、その多様性こそが成長のエネルギー源だったとも言えるでしょう。しかし、近年になって見られる分断は、これまでとは明らかに異なる危険な性質を帯び始めています。単なる政策の好みの違いを超えて、社会の根本が揺らぎ始めているのです。
その背景にあるのが、現代のアメリカを象徴する「トライバリズム(政治的部族主義)」という現象にほかなりません。これは、人種や信仰、性別、学歴、収入、住む地域といった共通点を持つ者同士が強固なグループを形成し、その中に閉じこもってしまう現象を指します。SNSの普及がこの排他的な動きをさらに加速させており、ネット上でも「お互いの分断が修復不可能なレベルに達している」と大きな反響を呼んでいます。
特に深刻なのは、それぞれのグループが自らを「不当な被害者」と位置づけ、自分たちとは異なる他のグループを徹底的に叩き潰そうとしている点です。政治のリーダーたちも、国民を一つにまとめようとするどころか、特定の身内だけを優遇し、敵対する勢力を激しく攻撃します。既存のルールや社会のモラルを無視して暴走することさえ、「決断力のある強いリーダー」の証として支持者にアピールする始末です。
客観的な真実が消え去る時代
こうした時代を鮮やかに描き出したのが、高名な文芸批評家であるミチコ・カクタニ氏の著書『真実の終わり』です。本書では、誰の目にも明らかな「客観的な事実」というものが社会から失われ、グループごとに都合の良い「独自の事実」が乱立する歪んだ現状が指摘されています。かつて文学界を賑わせたポストモダニズム(絶対的な真理を否定する思想)の皮肉な終着駅としてトランプ大統領が誕生したという指摘は、じ実に鋭い視点と言えるでしょう。
さらに、専門家による科学的・客観的な知見である「専門知」が軽視されている現状も深刻です。アメリカには伝統的に、一般市民の感覚を重んじる「レイマンコントロール(素人管理)」の文化が根付いています。しかし、現在の危機はそれとは別物です。正しいか間違っているかではなく、自分の好き嫌いだけで国の政策を判断する風潮が強まっています。もはや専門家の意見すら、特定グループのプロパガンダとして片付けられてしまうのです。
トランプ大統領が放った「私は学歴の低い人々を愛している」という言葉は、まさにこの心理を突いたものでした。これに応えるように、地方の白人労働者層はどれほどスキャンダルが報道されようとも、彼を盲目的に支え続けています。ジャスティン・ゲスト氏の『新たなマイノリティの誕生』が描くように、産業の衰退によって取り残された彼らの孤独と絶望が、強力な結束を生み出している現状は見過ごせません。
暗黒の思想とこれからの選択
歴史を振り返ると、世論がバラバラに引き裂かれた隙に、民主主義が全体主義へと変貌してしまった過去の悲劇が存在します。しかし、一度ここまで深まった対立を、民主主義の手続きによって見事に解決できた前例はなかなか見当たりません。私たちが目撃しているこのアメリカの姿は、単なる一国の混乱にとどまらず、人類が築いてきた民主主義というシステムそのものに対する重大な挑戦状と言えます。
インターネットの片隅では、人権や平等、民主主義といった近代の素晴らしい啓蒙理念そのものを全否定する「新反動主義(暗黒啓蒙)」という過激な思想が注目を集め始めています。それはまるで、格差と混沌にまみれた映画『ジョーカー』の世界が現実の社会に侵食してきたかのような不気味さを感じさせます。こうした不穏な空気が漂う中だからこそ、私たちは既存の価値観を疑う視点を持つべきなのかもしれません。
2020年秋には、いよいよアメリカ大統領選挙が実施される予定となっており、2020年2月からは民主党の候補者選びも本格的にスタートします。混迷を極める現代において、次のリーダーに誰が選ばれるのかはもちろん極めて重要な関心事です。それと同時に、どのような選挙戦が展開され、世論がどう動くのかという「選ばれ方のプロセス」に対しても、私たちはしっかりと監視の目を向けていく必要があるでしょう。
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