2019年08月21日、私たちの国の司法制度は導入から10年という大きな節目を迎えました。一般市民が刑事裁判に参加し、プロの裁判官と一緒に被告人の有罪・無罪や刑罰の内容を決定する「裁判員制度」は、司法をより身近にする画期的な試みとして期待されてきたのです。
この制度の本来の目的は、裁判に国民の「普通の感覚」を反映させることにありました。しかし、制度開始から10年が経過した現在、当初の理想とは裏腹に、審理期間が大幅に延び続けているというショッキングな事実が明らかになっています。
平均日数が3倍に?数字が語る驚きの実態
最高裁判所が公表した統計データを確認すると、その変化の激しさに驚かされるでしょう。制度がスタートした2009年において、初公判から判決までにかかった日数は平均で3.7日に過ぎませんでした。ところが、2018年には10.8日まで延びてしまったのです。
特筆すべきは、過去最長となる207日間もの審理が行われたケースが存在することだと言えます。半年以上もの長期間にわたって、平日の多くの時間を裁判所に捧げることは、仕事や家庭を持つ一般市民にとって極めて過酷な負担であるのは間違いありません。
なぜ、これほどまでに時間がかかってしまうのか疑問に思う方も多いはずです。その最大の要因は、被告人が起訴内容を全面的に認めない「否認事件」が増加し、審理が複雑化している点にあります。検察側と弁護側の主張が真っ向から対立するため、慎重な検討が求められるわけです。
ここで「否認事件」という専門用語について少し解説を加えておきましょう。これは、被告人が「私はやっていない」と無実を訴えたり、殺意の有無などの重要な事実を否定したりする事件を指します。証拠の吟味や証人の尋問に、どうしても膨大な時間が必要となるのです。
SNSで渦巻く不安の声と編集部が抱く危惧
この現状に対し、SNS上でも多くの反響が寄せられています。「もし自分が選ばれたら、半年も仕事を休むなんて絶対に無理だ」という切実な声や、「長期間の拘束は市民への罰ゲームではないか」といった批判的な意見が目立っているようです。
また、ネット上では「審理が長引けば長引くほど、一般人の集中力や客観的な判断力が鈍ってしまうのではないか」という鋭い指摘も見受けられました。プロではない市民が長期間、重い刑事事件と向き合い続ける精神的ストレスは、計り知れないものがあるでしょう。
私個人の意見としては、現在の状況は「市民感覚の反映」という美名の影で、参加者の善意に頼りすぎている危うさを感じます。審理を短縮しようとする努力には限界が見えており、複雑な事件において市民をどこまで巻き込むべきか、抜本的に見直すべき時期です。
被告人の権利を守るための緻密な裁判は不可欠ですが、それが市民の生活を破壊するものであっては本末転倒ではないでしょうか。国民が納得して参加できる仕組みに改善されなければ、真の意味で「国民に開かれた司法」を実現することは難しいと私は考えます。
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