2019年10月21日現在、多くの公立学校で前期の終業を迎え、子どもたちの手には学習状況を記した成績票が手渡されています。日本には一般的な3学期制のほかに、1年間を前期と後期の2つに分ける「2学期制」を採用する学校があり、ちょうど今はその区切りの時期にあたるのです。
そんな成績票を前に、複雑な表情を浮かべる外国ルーツの児童たちが少なくありません。ブラジルから日本の小学校の5年生に転入してきたある女の子は、手渡された評価を見て「前の学校でもらっていた成績のほうがよかった」と肩を落としていました。言葉の壁は彼らにとって非常に厚い障害となっています。
彼女は片言の日本語で「授業中に自分が考えていることの半分も伝えられず、怒りに近いもどかしさを感じる」と感情をあらわにします。また、ボリビアからやってきた別の5年生の女の子も「母国ではクラスで1番だったのに、日本では勉強そのものが理解できない」と嘆息を漏らしている状況です。
SNSの反響と求められる新たな評価基準
南米をはじめとする多くの国では、学校内で成績の順位を明確に貼り出して発表する文化が根付いています。そのため、自分の学習能力に強い自信と誇りを持っていた子どもほど、来日後に十分な実力を発揮できない現状に激しいギャップと悔しさを抱え込んでしまうのでしょう。
このような教育現場のリアルな声に対し、SNS上でもさまざまな反響が巻き起こりました。Twitterなどでは「頭が良いのに言葉だけで低評価になるのは可哀想」「日本語支援をもっと手厚くするべきだ」といった同情の声や、現役の教員から「評価基準の難しさに日々直面している」という切実な意見も散見されます。
筆者個人としても、この問題は決して見過ごすことができない重大な課題だと感じています。知的能力の高さと日本語の習熟度は本来切り離して考えるべきであり、言葉が不自由だからといって学習意欲を削ぐような評価を下すのは、日本の教育システムにおける大きな損失だと言わざるを得ません。
もちろん現場の先生方の負担を考慮すると、一朝一夕に解決できる問題ではないことも理解できます。しかし、これからの国際化社会を見据えるならば、国語力に依存しない理数系科目の評価方法の導入や、多言語でのサポート体制の構築など、子どもたちの自尊心を奪わない新しい基準作りが急務ではないでしょうか。
コメント