2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制起訴されていた東京電力の旧経営陣3名に対し、東京地方裁判所は2019年9月19日に無罪の判決を言い渡しました。巨大な津波の到来を予測し、事故を防ぐ義務があったかどうかが最大の争点となりましたが、裁判所は「津波の予測は困難であった」との判断を下したのです。この歴史的な司法判断は、事故から8年以上が経過した今、被害者や避難生活を続ける方々だけでなく、日本社会全体に大きな波紋を広げています。
判決を受けて、かつて東電の舵取りを担った幹部たちはそれぞれの胸中を明かしました。元会長の勝俣恒久氏は「多大なご迷惑をおかけした社会の皆様に対し、社長や会長を務めた立場として大変申し訳なく思っており、改めてお詫び申し上げます」と、深い謝罪の意を表明しています。また、武黒一郎元副社長や武藤栄元副社長も、亡くなられた方々への弔意や負傷された方へのお見舞いを述べるとともに、当時の役員としての責任を痛感している様子が伺えるコメントを発表しました。
ここで注目される「業務上過失致死傷罪」とは、仕事上で必要な注意を怠り、結果として人を死傷させてしまった場合に問われる刑事責任を指します。今回のケースでは、専門機関による津波の予測データが、経営判断を左右するほどの信頼性を持っていたかどうかが厳しく問われました。法的な責任が否定された一方で、SNS上では「納得がいかない」という悲痛な叫びや、「司法の限界を感じる」といった厳しい意見が相次いで投稿されており、人々の感情と法律の壁との間にある深い溝が浮き彫りになっています。
筆者の個人的な見解としては、法律が定める「予見可能性」の解釈が、被害に遭われた方々の感情からあまりにかけ離れていることに危惧を覚えます。確かに法は証拠に基づいて厳格に運用されるべきですが、これほど甚大な被害を出した事故において、誰も刑事責任を負わないという結果は、企業の安全管理の在り方に一石を投じることになるでしょう。謝罪の言葉は出されましたが、その言葉がどこまで被災地の方々の心に届くのか、そして今後のエネルギー政策における安全神話の払拭にどう繋がるのかを注視すべきです。
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