私たちが生活を営む上で避けては通れない「お金」と「国家」の在り方を、物語の力で問い続けてきた作家がいます。幸田真音さんは、約25年にわたり経済をテーマにした執筆活動を展開してきました。その根底には、常に「この国の問題を皆で真剣に考えたい」という切実な願いが込められています。
2004年に上梓された『代行返上』という作品をご存知でしょうか。これは複雑な年金制度を題材にした小説です。「上梓(じょうし)」とは、文字通り「本を出版すること」を指します。難解になりがちな制度の実態を、いかに読者が没入できるエンターテインメントとして昇華させるか、そこには作家としての並々ならぬ執念が宿っていました。
執筆にあたり、幸田さんは厚生労働省や社会保険庁、各企業の担当者など、数えきれないほどの人々に取材を重ねたといいます。その過程で浮かび上がったのが、目を疑うほど「ずさんな記録管理」の実態でした。現場から漏れる「将来、取り返しのつかない事態になる」という悲痛な叫びは、まさに「消えた年金記録」という爆弾の発見だったのです。
SNSやネット上では「制度の欠陥を暴く勇気に震える」といった声がある一方で、当時の連載中には凄まじい反発も巻き起こりました。驚くべきことに、警察沙汰になってもおかしくないほどの執拗な脅迫まで届いたといいます。しかし、作家は怯みませんでした。この問題を書くことこそが、国民の未来を守ることに繋がると信じていたからです。
政治の迷走と、いま私たちが直視すべき国家の未来
やがてこの問題は、国会の予算委員会で野党議員が幸田さんの著書を掲げて追及する事態にまで発展しました。しかし、事態は皮肉な方向へ進みます。追及していた側の党首自身に年金の未加入が発覚したことで、メディアの関心は「個人の不祥事」という矮小なスキャンダルへと一気に舵を切ってしまったのでした。
結果として、本来最も重要であるはずの「記録問題」が世間に広く認知されるまでに、さらに2年という貴重な歳月を要することになりました。2019年11月27日現在、世間を騒がせている「サクラ問題」のニュースを見ていると、当時の本質を見失った喧騒が重なって見えて仕方がありません。目先の不祥事に目を奪われてはいけないのです。
私たちが政治家やメディアに求めるべきは、矮小な批判合戦ではなく「国家の100年先」を語る姿勢ではないでしょうか。財政赤字や社会保障の崩壊危機など、日本には未だ解決を先送りにされている難問が山積しています。こうした「不都合な真実」から目を逸らさず、本質を議論する文化を育まなければ、歴史は繰り返されるでしょう。
個人的な見解を述べれば、幸田さんのような作家が命がけで発した警告を、政治の道具として消費してしまった過去の過ちを私たちは猛省すべきです。スキャンダルを叩いて溜飲を下げるのではなく、制度そのものの歪みを修正する力こそが、今の日本には必要です。私たちは今こそ、この国の未来について「本気で」考える時期に来ています。
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