静寂が漂う空間に、外界の喧騒を忘れさせるような暗い落ち着きが満ちています。京都御所の東側に位置し、2019年に創立150周年という大きな節目を迎えた京極小学校。この歴史ある学び舎の校長室には、一人の偉大な先人の肖像画が静かに掲げられています。部屋を訪れる子供たちが「この人は誰?」と無邪気に問いかける光景は、時の流れを感じさせずにはいられません。
足立素子校長は、科学の歴史に燦然と輝く足跡を残した卒業生の記憶が少しずつ薄れている現状を寂しく思いつつ、「ノーベル賞を受賞された素晴らしい方なのよ」と優しく教え語ります。取材中にも児童が「分からないことがある」と親しみを持って校長室の扉を叩く様子が見られましたが、こうした現代の朗らかな風景は、湯川秀樹が自伝の中で綴った自身の幼少期とは少し趣を異にしているようです。
日本人で初めてのノーベル物理学賞に輝いた湯川秀樹が、自らの前半生を振り返った名著「旅人」の中では、どこか物悲しく、世を避けるようなメランコリックな感情が随所に顔を出します。彼は自らの内向的な性格のルーツについて、厳格だった父親や無口な母親との家族関係、そして外部から遮断されたような京都の家の構造に求めていたのは、非常に興味深い分析ではないでしょうか。
しかし、こうした閉鎖的な環境こそが、彼の精神的なエネルギーを内面へと深く向かわせ、比類なき想像力を育む苗床となったのでしょう。SNSでも「孤独が才能を磨くという湯川氏の言葉に勇気をもらった」という声が多く、現代の私たちにとっても示唆に富んでいます。その内省の先に待っていたのは、困難を極めながらも希望の光が差し込む、奥深い学問の探求という名の長い旅路でした。
京都の街角に残る「重い荷を背負った旅人」の足跡
湯川氏は自身の歩みを「重い荷を背負った旅人」という言葉で例えましたが、長年過ごした京都という土地に対しては、人一倍深い愛着を抱いていました。京極小学校からほど近い梨木神社では、1969年頃に「萩の会」という組織が発足しています。秋の祭りに集うこの穏やかな集まりにおいて、彼は初代会長を引き受け、出店の賑わいの中で「投扇興」という伝統遊びを心から楽しんだと伝えられています。
また、神社の斜め向かいにある清浄華院も、湯川氏の記憶を今に留める大切な場所です。彼がこの世を去った後、夫人のスミさんは亡き夫の菩提を弔うため、知恩院へ袈裟を寄付されました。当時それを受け取った香林浩道さんは、後に清浄華院の執事を務めることとなり、「10年ほど前にここへ赴任した際、不思議なご縁を感じた」と、かつての思い出を大切に語ってくださいました。
湯川秀樹が「中間子」という粒子の存在を予見した際、幼い頃にこの寺で眺めた、桜の葉の間からこぼれる日の光を思い出したと述懐している点は見逃せません。中間子とは、原子核の中で陽子や中性子を結びつける重要な役割を果たす「仲介役」の粒子を指します。微細な世界の物理法則と、京都の美しい自然が見事に結びついた瞬間を想像すると、科学者の感性の豊かさに改めて驚かされます。
孤独を知る科学者の澄んだ瞳を通して描かれる「旅人」は、京都御所や新京極といった名所の姿を鋭い筆致で写し出しています。大勢の観光客で賑わう現代の京都とは一線を画す、かつての静謐な都の姿を私たちに教えてくれる上質なガイドブックとも言えるでしょう。天才の苦悩と発見の喜びが交差するこの一冊を手に、古都の路地裏を歩いてみるのはいかがでしょうか。
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