2019年08月01日から開幕した国内最大級の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が、予期せぬ事態に見舞われています。愛知県警は2019年08月07日、会場に対してガソリンを用いた襲撃を予告する脅迫文を送り、円滑な運営を妨げたとして、威力業務妨害の疑いでトラック運転手の59歳の男を逮捕しました。
事件の引き金となったのは、企画展「表現の不自由展・その後」に展示されていた「平和の少女像」です。逮捕された男は警察の調べに対し、この像の展示内容に強い不満を抱いていたと供述していることが判明しました。芸術祭の事務局には、開幕直後からファックスやメールで、一方的な主張を含む抗議が殺到していたのが現状です。
男が送ったファックスには「ガソリン携行缶を持って会場にお邪魔する」といった趣旨の、極めて悪質な文言が綴られていたといいます。これは、2019年07月に発生した京都アニメーション放火殺人事件を連想させる極めて卑劣な脅迫であり、芸術祭側は来場者やスタッフの安全を守るために、苦渋の決断として展示の中止を余儀なくされました。
ここで専門用語として解説しておきたいのが「表現の自由」という概念でしょう。これは、個人が外部からの検閲や不当な干渉を受けることなく、自らの思想や感情を表明できるという憲法で保障された権利を指します。今回の芸術祭は、過去に不自由となった作品をあえて展示することで議論を呼ぶ意図がありましたが、暴力による威圧は対話を根底から破壊する行為に他なりません。
SNS上では、この逮捕のニュースを受けて「どのような理由があっても暴力による脅迫は決して許されるべきではない」といった声が数多く上がっています。その一方で、「展示内容そのものに違和感を覚える」といった批判的な意見も見受けられますが、その不満を犯罪行為でぶつける短絡的な手法に対しては、多くのユーザーが否定的な反応を示している状況です。
編集部としての見解を述べさせていただきますと、芸術の価値は観る者によって異なり、議論が生まれること自体は文化の健全な証拠だと言えます。しかし、自身の思想に反するからといって、無関係な人々の命を脅かすような行為は、断じて民主主義社会で受け入れられるものではありません。批判はあくまで言論の土俵で行われるべきであり、暴力に屈して表現が封じられることは避けるべきでしょう。
現在は警察による詳しい動機や背景の解明が進められており、社会全体が表現のあり方について問い直される局面を迎えています。展示中止という重い結果を招いた今回の事件は、日本の文化芸術の発展において、極めて深刻な課題を突きつけた形となりました。今後、どのように安全を確保しつつ多様な価値観を提示していくのか、運営側の対応に注目が集まっています。
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