義足と聞くと、日常生活をサポートするための医療器具というイメージが強いのではないでしょうか。しかし、義肢装具士の臼井二美男(うすい ふみお)さんは、その固定観念を打ち破り、「義足で走る」という新たな可能性を日本に持ち込み、多くの方の人生に風を吹かせようと奮闘されています。
臼井さんが鉄道弘済会に就職して義足作りを始めた翌年、新婚旅行で訪れたハワイで運命的な出会いがありました。現地の製作所を見学した際、技術者から「こういうものを、君はまだ知らないだろう」と、スポーツ用義足を紹介されたのです。これは、病気や怪我で足を失った方でも、装着すれば走れるようになるという、当時としては画期的なものでした。
当時の日本では、「義足で走る」という発想自体がなく、義肢装具士のあいだでも「とんでもない」と否定的な受け止め方でした。しかし、この分野に新しく足を踏み入れた臼井さんには先入観がなく、純粋に驚きを覚えるとともに、「いつか自分でも作ってみたい」という強い願望が芽生えたといいます。もちろん、修行を始めたばかりの頃は、日常生活用の義足を作るだけで精一杯の日々が続いたそうです。
基本的な技術を習得できたころ、転機が訪れました。海外からスポーツ用義足のバネの部分、すなわち地面を蹴った際の反発力を生み出す最も重要な部品が日本に入ってきたのです。このバネがあれば自作できると直感した臼井さんは、すぐに開発に着手されました。義足の基本構造は、切断した足にはめるソケット、それを支える支柱、そして足首からつま先にあたる足部から成りますが、スポーツ用ではこの支柱や足部にバネが用いられ、反発力を利用して走ったりジャンプしたりすることが可能になります。
開発作業は、日常生活用の義足作りを終えた後の、毎晩夕方6時すぎから行われました。米国やドイツの専門書の写真を参考にしながら、約2カ月の歳月をかけて試作品を完成させ、これが日本で初めてのスポーツ用義足となったのです。完成したのは1990年のことでした。
この試作品第1号を試してくれたのは、4歳の頃から義足を使っている、当時27歳の活動的な女性です。彼女は試作義足を履いて小走りができることを知り、「私は走れる」と大変感動されたそうです。この経験を通じて、臼井さんは障害を持つ方がスポーツをする意義の大きさを痛感されました。その思いから、1991年、義足を使う方を対象とした陸上クラブを設立されています。
スポーツが育む力と高額な義足の壁
陸上クラブを通じて、臼井さんは長年にわたり参加者を見守ってきました。スポーツに取り組むことで、彼らは心身ともにたくましく成長していくことを実感されているそうです。特に、多感な小中学生にとってスポーツは非常に有効であり、自主性や協調性が身につき、自立へと大きく貢献すると力強く語られています。障害を持つ子どもたちが、走り、汗を流す経験は、きっと自信と生きる力につながるでしょう。
しかし、ここで大きな課題が浮上します。それはスポーツ用義足の価格です。日常生活用の義足は約30万円ほどで、公的な補助金があるため利用者の負担はそれほど大きくありません。ところが、スポーツ用義足は40万~50万円以上と高額であるにもかかわらず、公的な補助が一切ありません。企業などのスポンサーが付いているトップアスリートであれば入手も可能ですが、一般の方が気軽に手を出すのは非常に難しい状況です。
この状況に対し、臼井さんが所属する鉄道弘済会では、陸上クラブの参加者に向けて義足を無償で貸し出しという形で支援されています。部品開発を手掛けるメーカーの協力や、トップアスリートが使用しなくなった義足を再利用することで対応していますが、数が足りず、現在も順番待ちが発生している状態とのことです。臼井さんは、スポーツをするすべての方に公平な機会を提供するためにも、スポーツ用義足についても公的な補助があるべきだと強く提言されています。
この臼井さんの取り組みと高額な価格に関する課題は、瞬く間にSNSでも大きな反響を呼びました。「走る喜びって何物にも代えがたい」「スポーツ用義足はレジャーじゃなく、生きる意欲を支えるものだから補助すべき」「こんなに高価だとチャレンジしたくてもできない」といった共感や、公的支援を望む声が多く上がっています。私も一編集者として、臼井さんの「走る喜びを届けたい」という情熱には深く共感します。義足がただの歩行補助具ではなく、人生を豊かにする可能性の翼となるために、社会全体でこの高額な価格の壁を乗り越える必要があるのではないでしょうか。
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