2019年08月21日、日本を代表する伝統芸能「文楽」の世界で、今や人間国宝として知られる三味線奏者、鶴澤清治さんが自身の原点を振り返りました。それは、若き日の彼に訪れた「運命の分かれ道」とも呼べる劇的な出来事でした。伝統の重みを背負いながら、ひたすらに芸を磨き続けてきた一人の表現者の物語が、今改めて注目を集めています。
ここで少し、文楽という芸能について解説しましょう。文楽とは、太夫(語り手)、三味線、人形が三位一体となって物語を紡ぐ、日本が世界に誇る人形浄瑠璃のことです。その中でも三味線は、単なる伴奏ではありません。情景の描写から登場人物の細やかな心理変化までを音だけで表現する、いわば「舞台の指揮者」ともいえる極めて重要な役割を担っているのです。
「神様」に選ばれた若き才能と、切場に込めた魂の共鳴
清治さんに転機が訪れたのは、1970年代の後半、彼がまだ31歳という若さだった頃です。当時、清治さんの師匠である竹澤弥七さんが惜しまれつつこの世を去りました。その師匠の相方を務めていたのが、当時の文楽界で「神様」と称えられ、人間国宝でもあった伝説の太夫、竹本越路太夫師匠でした。名人のパートナー選びは、界隈の視線を一身に浴びる出来事だったのです。
驚くべきことに、その「神様」が次なる相方として指名したのは、当時まだ若手の一人に過ぎなかった清治さんでした。この破格の抜擢にはSNS上でも驚きの声が上がっています。「31歳で越路太夫の三味線を弾くなんて、想像を絶する重圧だったはず」「若き才能を見抜いた先人の眼力が、今の文楽の至宝を育てたのだ」と、時代を超えた感動が広がっているようです。
清治さんはそれから13年という長きにわたり、越路師匠が引退するその日まで三味線を弾き続けました。彼が任されたのは、物語の中で最もドラマチックな山場である「切場(きりば)」と呼ばれる重要な場面です。切場とは、一日の興行の中で最も格調高く、卓越した技量が求められるクライマックスを指します。この大役を全うし続けた経験が、今の彼の音色に深みを与えているのでしょう。
筆者としては、この「師匠亡き後の指名」に、単なる技術の継承を超えた、伝統芸能の「覚悟」を感じずにはいられません。若き日の清治さんが感じたであろう恐怖と誇りが、現在の研ぎ澄まされた音の背景にあるのだと思うと、胸が熱くなります。伝統を守るということは、時にこうした大胆な変革を伴いながら、新しい血を注ぎ込むことなのかもしれません。
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