2019年10月25日、京都の街に新しい風を吹き込み続けてきた「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT、通称KEX)」が、大きな節目を迎えました。開催当初から10年間にわたりプログラムディレクターとして舵取りを担ってきた橋本裕介氏が、今シーズンの終了をもって退任されます。今回のインタビューで橋本氏は、これまでの歩みを振り返るとともに、変容し続ける芸術の在り方について情熱的に語ってくださいました。
当初は芸術を「消費されるコンテンツ」として提供する側面が強かったこの祭典も、現在では「未知の表現と出会うための探求の場」へと劇的な進化を遂げています。単に有名な作品を鑑賞するだけではなく、観客がこれまで知らなかった価値観に触れ、新しい思考の扉を開くためのプラットフォームとして、アジア全域でも屈指の存在感を誇るまでになりました。この10年という歳月は、まさに京都の文化レベルを世界水準へと押し上げた歴史と言えるでしょう。
商業主義との決別と、芸術祭が果たすべき真の役割
橋本氏が特に強調されていたのは、商業的なエンターテインメントと芸術祭との明確な境界線です。利益や効率を最優先するビジネスとしての文化とは一線を画し、表現者が妥協することなく内面をさらけ出せる環境を整えることに、彼は心血を注いできました。SNS上でも「KEXのおかげで自分の固定観念が壊された」「難しいけれど、ここに来れば何かが変わる予感がする」といった、本質的な芸術体験を称賛するファンの声が多く寄せられています。
舞台芸術という分野は、役者の演技だけでなく、照明や音楽、空間演出が一体となって観客の五感を刺激する総合芸術です。橋本氏は、こうした「舞台芸術」の持つ可能性を最大限に引き出すため、実験的で前衛的な試みを常に支援してきました。流行を追うのではなく、時代の先を読み解こうとするその姿勢こそが、国内外のアーティストから絶大な信頼を寄せられる理由となっているのは間違いありません。
しかし、華やかな成功の裏側で、橋本氏は現在の日本における「表現の自由」の脆弱(ぜいじゃく)さに対して、強い警鐘を鳴らしています。多様な価値観を認める寛容さが失われつつある社会情勢に対し、芸術が萎縮してしまうことへの危機感は並大抵のものではありません。表現の自由とは、公権力による検閲(けんえつ)や周囲の過度な同調圧力に屈することなく、アーティストが自身の信じる思想を形にできる権利を指します。
私は、橋本氏が守り抜こうとした「表現の聖域」は、私たちの民主主義を維持するためにも必要不可欠なものだと考えます。面白いか、つまらないかという二元論ではなく、その表現がなぜ生まれたのかを共に考える場が今こそ求められています。橋本裕介氏が築き上げたこの10年の地平を糧に、次世代のクリエイターたちがどのような新しい景色を私たちに見せてくれるのか、期待に胸が膨らむばかりです。
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