山本夏彦、幻のデビュー作『年を歴た鰐の話』を追う――なぜ「辛口の権威」は復刊を拒み続けたのか?

「そこにないものに注目する」――。辛口コラムニストとして名を馳せた山本夏彦氏は、かつてそう説きました。目に見える存在よりも、むしろ欠けているものにこそ本質が宿るという彼の哲学は、自身の処女作を巡る奇妙な運命を暗示していたのかもしれません。今回スポットを当てるのは、古書界で長らく「幻」と称された一冊、ショヴォ原著・山本夏彦訳の『年を歴た鰐の話』です。

1941年11月09日、現在から遡ること数十年前、桜井書店から上梓されたこの本は、24歳の若き夏彦氏が世に送り出した瑞々しくも毒のある一冊でした。菊判118ページに及ぶ瀟洒な装丁、そして53枚もの挿画。フランスの作家レオポール・ショヴォの物語を訳した本作は、単なる翻訳の域を超え、既に後年の「夏彦節」とも呼べる皮肉に満ちた文体が完成されていたのです。

物語の主人公は、ピラミッドの建設さえ目撃したという高齢の鰐です。空腹に耐えかねて自分のひ孫を食べ、旅先で出会ったタコの足を愛おしみながらも毎晩一本ずつ平らげていく。そんな残酷で淡々とした展開には、読者の心にざらりとした感触を残す寓意が込められています。このシュールな物語は当時人気を博し、戦後の1947年にも形を変えて再出版されました。

しかし、不思議な現象が起こります。これほど増刷されたはずの本が、古書市場から忽然と姿を消したのです。SNSでも「どれだけ探しても見つからない」「実在するのか」と、愛書家たちの間で都市伝説のように語り継がれてきました。かつて詩人の北村透谷が自著を断裁した例はありますが、本作は著者が隠したわけでもないのに、市場から「消失」してしまったのです。

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頑なな拒絶と「幻」の正体

1970年代以降、熱狂的なファンは夏彦氏に復刊を懇願し続けました。しかし、氏は頑としてその声に応じようとしませんでした。理由も語らず拒み続ける姿は、愛好家たちの渇望をいっそう強める結果となったのです。ようやく読者がその内容に触れることができたのは、2002年に氏が逝去した翌年、2003年になってからの復刻版の登場を待たねばなりませんでした。

なぜ、これほどまでに本が見つからなかったのでしょうか。その一因は、本作が「童話」として扱われた悲劇にあると考えられます。漫画や児童書は、読み古されると捨てられる運命にあります。さらに、戦後版の「横開き」という特殊な形状も災いしました。書棚に収まりにくい本は、大切に保管される確率が極端に低くなるからです。

筆者は40年以上の歳月をかけ、ようやく1941年発行の初版本を手にしました。実物を確認して驚いたのは、復刻版との僅かな差異です。鰐の年齢の記述が一部異なるほか、初版には佐藤春夫や棟方志功ら豪華な面々が寄稿した「挟み込みの小冊子」が存在していました。この貴重な資料の散逸こそが、本書を真の「幻」に仕立て上げていたのでしょう。

著者が復刊を拒んだのは、完成された晩年の自己から見て、若き日の「枯れた文体」が気恥ずかしかったからでしょうか。あるいは、消えゆく運命にあるものをそのままにしたいという、氏の美学だったのかもしれません。いずれにせよ、手に取れない時間こそが、私たちにとっての「読書体験」をより豊かで贅沢なものに変えてくれたのだと感じます。

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