2003年8月、俳人の黛まどかさんは「日韓文化交流基金韓国訪問団」の一員として、海を渡り釜山の地を訪れていました。そこで出会った一つのエピソードが、今もなお色鮮やかな記憶として彼女の心に刻まれています。
骨董市で足を止めていた彼女に、優しく声をかけたのは、薩摩焼の名工として名高い14代沈壽官氏でした。「緑色がきれいだから、旅の思い出にお揃いで買いませんか?」という提案から、二人は小さな骨董の箱を手に取ることになります。
沈壽官氏の一族は、16世紀末の慶長の役で日本へ連行された朝鮮人技術者を祖に持ちます。その400年にわたる苦難の歴史は、司馬遼太郎氏の名作『故郷忘じがたく候』にも克明に描かれており、まさに日韓の歴史の体現者といえる存在です。
実はこの小箱、骨董としての真贋はかなり怪しい代物でした。しかし、沈氏は「偽物にしては少し高い」その品を、あえて笑顔で購入しました。物そのものの価値以上に、共に過ごす時間の尊さを重んじる、名工の粋な計らいだったのでしょう。
SNS上でも「沈壽官さんの心の広さに感動した」「偽物と分かっていて美しさを見出す感性が素晴らしい」といった反響が寄せられています。表面的な価値に惑わされない、本質的な豊かさを愛でる姿勢が多くの人の共感を呼んでいます。
激流を越える文化交流の架け橋
当時、日韓の間では大衆文化の開放が段階的に進められていました。これは音楽や映画など、互いの国の文化を自由に享受できるよう規制を解いていくプロセスを指し、多くの先駆者たちがその実現のために尽力していたのです。
黛さんは、言論統制下で命を懸けて発信を続けた池明観氏ら、文化の壁を崩そうとする諸先輩方の背中を間近で見てきました。その情熱が実を結び、韓国で日本の音楽が流れ、日本で韓流ブームが巻き起こる新時代が幕を開けました。
政治的な対立が繰り返される中でも、文化という名の架け橋は、荒波に耐えて現在も私たちを繋いでいます。沈氏がかつてソウル大学の講演で放った「あなた方が36年を言うなら、私は370年を言わねばならない」という言葉は圧巻です。
36年間の植民地支配に拘泥する若者に対し、日本で生き抜いた370年の重みを示した沈氏。その覚悟に満ちた言葉は、学生たちの心を激しく揺さぶり、講堂を震わせるほどの合唱を巻き起こしたといいます。
私は、この小箱のエピソードこそが日韓交流の理想像だと感じます。欠点や歴史の傷跡を知りつつも、その中にある「美しい緑色」という一点の輝きを肯定すること。それは、未来を築くために最も必要な「赦し」と「共感」の姿に他なりません。
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