2015年9月14日から2015年9月16日にかけて、埼玉県熊谷市で発生し、日本中を震撼させた痛ましい連続殺人事件に、新たな司法判断が下されました。当時、小学生2名を含む計6名もの尊い命が奪われたこの事件は、あまりにも残虐な内容から、誰もが厳罰を望んでいたことでしょう。しかし、2019年12月5日に東京高等裁判所が言い渡した判決は、第一審の死刑判決を破棄し、被告に無期懲役を言い渡すという衝撃的な内容となりました。
今回の控訴審で最大の争点となったのは、ペルー人であるナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告の「責任能力」についてです。法律の世界には、精神障害などの理由で善悪の判断がつかない状態を指す「心神喪失」や、その能力が著しく低い「心神耗弱(しんしんこうじゃく)」という概念が存在します。心神耗弱と認定された場合、法律の規定によって必ず刑を軽くしなければならないというルールがあるのです。
東京高裁の大熊一之裁判長は、専門家による精神鑑定の結果を重く受け止めました。被告は「統合失調症」という、思考や感情がまとまらなくなる精神疾患を患っており、当時は妄想上の追跡者に追われていると思い込んでいたようです。被害者宅への侵入や殺害についても、この被害妄想に支配された結果、家の人を追跡者の仲間だと誤認して襲った可能性が高いと結論付けられました。
一方で、被告が証拠を隠そうとするかのような不自然な行動を取っていた点も指摘されています。このことから、すべての判断能力を失っていたわけではなく、ある程度の自発的な意思が残っていたと見なされました。第一審の裁判員裁判では「妄想の影響は限定的」として完全な責任能力を認めましたが、二審では「一審の判断には精神鑑定の評価に誤りがある」と厳しく断じた形です。
極刑を免れた判決への違和感とSNSでの議論
裁判長は判決の中で、6人の命が奪われた結果は非常に重く、責任能力の問題さえなければ極刑以外にあり得ない事案であると明言しています。それでもなお、法律上の減軽を適用せざるを得ないという司法の葛藤が垣間見えます。しかし、愛する家族を突然奪われた遺族の方々の無念を思えば、この「病気だったから」という理由での減刑は、到底受け入れがたい理不尽な結論に映るに違いありません。
SNS上ではこの判決に対し、「裁判員裁判の意味がなくなってしまうのではないか」「失われた6人の命の重さはどうなるのか」といった悲痛な声や憤りのコメントが溢れています。加害者の人権や病状を考慮する司法のシステムと、市民が感じる処罰感情との間にある深い溝が、改めて浮き彫りになったと言えるでしょう。私個人としても、法治国家としてのルールは理解しつつも、救いのない結末に強い虚脱感を禁じ得ません。
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