四国の経済界を長年にわたって牽引し、2019年10月9日に97歳で惜しまれつつこの世を去った四国電力の元社長、山本博氏を偲ぶ「お別れの会」が執り行われました。2019年11月19日、高松市内のホテルには地元の財界関係者を中心に、故人との別れを惜しむ約500人もの参列者が集結したのです。会場に掲げられた遺影を前に、訪れた人々は静かに献花を行い、偉大なリーダーが残した数々の功績に思いを馳せていました。
山本氏の歩みは、1946年に四国電力の前身である四国配電へ入社したことから始まります。彼は特に情報システム部門の統括責任者として非凡な才能を発揮し、社内での信頼を確固たるものにしていきました。そして1988年、ついに社長の座に就任します。時代を先取りする視点を持っていた彼は、電力の安定供給こそが地域の発展に不可欠であると確信し、大規模なプロジェクトを次々と形にしていったのです。
西日本のエネルギー基盤を築いた卓越したリーダーシップ
社長在任中の象徴的な仕事として語り継がれているのが、徳島県阿南市に位置する「橘湾火力発電所」の建設推進です。これは、電源開発(Jパワー)と共同で進められた西日本最大級の広域電源拠点を作るという壮大な計画でした。山本氏は強いリーダーシップを発揮して、エネルギーの安定確保に向けた基盤を整備したのです。SNS上では「今の四国のインフラがあるのは、こうした先人たちの決断のおかげだ」と感謝の声が広がっています。
また、1993年からは四国経済連合会の会長を6年間にわたり務め、電力業界の枠を超えて四国全体の活性化に心血を注ぎました。特に彼が情熱を傾けたのが、四国各地に点在する貴重な文化遺産をネットワークで結ぶ「歴史・文化道」構想です。これは単なる観光振興ではなく、地域のアイデンティティを再発見し、交流人口を増やすことで四国の魅力を内外に発信しようとする、非常に先見性のある取り組みでした。
専門用語として登場する「広域電源」とは、特定の地域だけでなく、より広い範囲に電気を届けるための大規模な発電施設を指します。山本氏が目指したのは、四国という枠組みを超え、西日本全体のエネルギー供給に貢献することだったのでしょう。経済人として冷徹な判断を下す一方で、地域の歴史を愛した彼の多面的な活動は、多くの後進たちに影響を与え続けています。
個人的な見解を述べさせていただくなら、山本氏のような「技術・システムの専門性」と「地域文化への深い理解」を兼ね備えたリーダーこそ、現代のビジネス界に最も求められている存在ではないでしょうか。インフラというハード面と、文化というソフト面の両輪を回し続けた彼の哲学は、人口減少社会に立ち向かう今の四国にとっても重要な指針になるはずです。偉大な功労者のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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