2019年12月07日、冷たい冬の空気の中で届けられた「朝日歌壇」の穂村弘氏選による入選歌は、まるで一冊の濃密な短編集を読んでいるかのような深い味わいを感じさせてくれます。日常の何気ない瞬間が、五七五七七という定型に閉じ込められることで、私たちは世界を再発見する驚きを与えられるのです。SNS上でも「言葉の選び方が絶妙」「今の時代の空気感が詰まっている」と、多くの反響を呼んでいます。
まず心を掴まれるのは、小野田裕氏による「プロローグとエピローグだけ書いてある物語」としての冬蝶の翅(はね)を詠んだ一首です。冬に見かける蝶の儚い羽を、物語の始まりと終わりに例える感性は実に鮮やかでしょう。中身が語られないまま進んでいく人生の不思議さを、穂村氏も「生きている物語の不思議」と評し、その余白の美しさに感嘆の声を寄せています。
一方、岩間啓二氏が詠んだのは、自身の死後を想像した切なくもリアルな家族の情景です。自分が死ねば妻は泣くだろうけれど、十日もすれば笑っているはずだという予感には、人間関係の真理が隠されているのではないでしょうか。この「十日ほどして」という絶妙な期間の設定が、悲しみが日常へと溶けていくリアリティを象徴しており、読者の胸を複雑な感情でざわつかせます。
現代社会の孤独と温もりが交差する一瞬
現代ならではの風景を鋭く切り取ったのがカエ氏の一首です。液晶画面のブルーライトに照らされる人々を「死にたいひとは輝くのです」と表現した感性は、SNS世代の共感を強く誘っています。本来、暗闇を照らすはずの光が、心の孤独をより鮮明に浮き彫りにしてしまう皮肉。この「生活実感」の捉え方こそが、私たちが今生きている2019年のリアルな質感そのものだと言えるでしょう。
また、織部壮氏が綴った「小六の秋」の記憶も印象的です。行進中にふと教えられた「どうしたら子どもができるか」という衝撃的な知識。運動会という整列された空間で、大人の階段を一歩登ってしまうような唐突な感覚には、誰もが覚えのあるような懐かしさと可笑しみが同居しています。こうした個人的な記憶の断片が、三十一音の中で普遍的なドラマへと昇華されていくのです。
芸術へのユニークなアプローチを見せたのは丹羽利一氏です。クリムトの豪華絢爛な「黄金画面」を眺めながら、画家も銀杏を食べたのだろうかと夢想する飛躍には思わず笑みがこぼれます。高尚なアートと食欲という世俗的な発想が結びつく瞬間は、芸術をより身近なものとして感じさせてくれます。穂村氏もこの「わかるけれど飛躍がある」連想の面白さを高く評価しました。
季節の移ろいと生活の営みが紡ぐ物語
季節は冬へと向かい、私たちの暮らしも少しずつ形を変えていきます。横山ひろこ氏が描いた、夫が伐った枝を妻が下で集める様子を「運動会のような冬仕度」と例えた歌には、長年連れ添った夫婦の温かな呼吸が感じられます。厳しい寒さに備える作業を、どこか楽しげな行事として捉え直すことで、日々の労働がかけがえのない思い出へと塗り替えられていくのでしょう。
一方で、20年使い続けて1分遅れる時計を毎朝合わせるという橘高なつめ氏の日常には、道具への愛着と規律正しさが宿っています。便利さが加速する令和の時代において、あえて手間をかけることの豊かさを教えてくれるようです。また、コンビニで手にした新聞の歌壇に自分の歌を見つける喜びを詠んだ米田彰男氏の歌は、地方に住む表現者の誇りと興奮がダイレクトに伝わってきます。
編集者の私としては、これらの歌に共通するのは「孤独な観察眼」ではないかと考えています。たとえ誰かと一緒にいても、自分自身の内側で見つめる世界は常に独特で自由なはずです。2019年12月07日というこの日に刻まれたこれらの言葉は、未来の私たちが今の時代を思い出すための大切な道標(しるべ)になるに違いありません。皆さんも、日常の小さな輝きを五七五七七に託してみてはいかがでしょうか。
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