2019年10月、世界を代表するテック企業のアマゾン・ドット・コムに対し、米国の30を超える人権団体が厳しい視線を向けました。同社が展開するスマートドアホン「リング」が、玄関先から街全体のデータを不当に吸い上げているのではないかという懸念の声が上がったのです。カメラ付きデバイスが普及する一方で、私たちのプライバシーが知らぬ間に脅かされている現実に、多くの人々がSNS上で「監視社会の到来だ」と強い危機感を募らせています。
こうしたデータ収集の加速に対し、欧州では2019年07月にビデオ監視を必要最小限に留めるべきだという指針がまとめられました。対して、日本や米国では未だに具体的な法規制が追いついていないのが現状です。技術的に「できること」が増える一方で、倫理的に「やってよいこと」の境界線が曖昧になってしまっています。企業には今、法律を守る以上の高い自律性が求められており、単なる利益追求ではない社会的な誠実さが試されていると言えるでしょう。
信頼を勝ち取る「最高倫理責任者」という新たな盾
データビジネスの成否を分けるのは、消費者の信頼をいかに維持できるかという一点に尽きます。そこで注目されているのが、2019年01月に米セールスフォース・ドットコムが新設した「最高倫理責任者」というポストです。英語で倫理を意味する「Ethics」の頭文字を取り、CEO(Chief Ethics Officer)とも呼ばれます。彼らの役割は、自社の技術が社会にとって善であるか、人権を侵害していないかを厳格に判断し、企業の暴走にブレーキをかけることにあります。
私は、この役割こそが次世代の企業経営における心臓部になると確信しています。事実、同社はプライバシー侵害のリスクを考慮して、顔認証技術の開発を見送るという決断を下しました。目先の利益よりも、ユーザーの尊厳を守ることを選んだのです。顔認証技術とは、カメラ画像から個人の特徴を抽出し、特定の人物を識別するシステムのことですが、利便性の裏に監視の強化という側面があります。こうした高度な技術をあえて「使わない」勇気こそが、企業のブランド価値を高める時代なのです。
生活データを売る実験?透明性が生む新たな信頼関係
一方で、データの価値をあえて可視化しようとするユニークな動きも日本で始まっています。2019年11月、東京のスタートアップ企業が「月額20万円で自宅の全生活データを売る」という実証実験の参加者を募ったところ、定員を遥かに上回る1300人もの応募が殺到しました。この実験は、浴室を除く全ての行動を録画し、その対価を現金で支払うというものです。「私生活を切り売りするのか」という批判もありますが、不透明な形でデータを抜かれるより、明確な契約を結ぶ方がフェアであるという考え方です。
ネット閲覧履歴などの情報がいつの間にか収集されている現代において、企業が「何のために、どうデータを使うのか」を正直に提示する姿勢は、新たな信頼の形を提示しています。データの獲得合戦は、もはや技術力の競い合いではなく、いかにユーザーから安心して情報を預けてもらえるかという「信頼の競争」へとシフトしました。自律したルールを掲げ、倫理を重んじる企業だけが、このデータの世紀を生き残っていくことになるはずです。
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