日本中を揺るがせた大きな波紋が、一つの区切りを迎えようとしています。学校法人「森友学園」を巡る一連の疑惑において、大阪地検は2019年07月24日、佐川宣寿元国税庁長官ら財務省幹部10名を再び不起訴とする方針を固めました。検察審査会による「不起訴不当」という厳しい議決を受けて進められた再捜査でしたが、最終的に刑事責任を問うだけの違法性は認められないとの結論に至ったようです。
今回の決定により、長く続いた捜査の歴史に終止符が打たれることになります。検察審査会が一度「不当」と判断した案件であっても、検察が再び不起訴を選んだ場合、制度上これ以上の再審査は行われません。SNS上では「真相が闇に葬られた」という憤りの声が上がる一方で、「法的な限界があるのは致し方ない」といった冷静な意見も入り混じり、国民の司法に対する信頼が問われる事態となっています。
「不起訴不当」と検察の判断、その言葉が持つ意味とは
ここで専門的な言葉を整理しておきましょう。「不起訴不当」とは、検察が下した不起訴という判断に対し、一般市民で構成される検察審査会が「その判断は納得できない、もっと詳しく調べるべきだ」と異議を唱えることを指します。検察はこの声を受けて再捜査を行いましたが、起訴に必要な「裁判で有罪を証明できる確かな証拠」を見出すことは困難だったと推測されます。法治国家としての厳格さが、皮肉にも国民の感情と乖離する結果を生んだのかもしれません。
そもそもこの問題の原点は、2016年06月に大阪府豊中市の国有地が鑑定価格から約8億円も値引きされ、わずか1億3400万円で売却されたことにあります。この驚くべき価格設定に政治家の関与があったのではないかという疑念が、事態を複雑化させました。背任罪や公文書変造といった罪名が飛び交う中で、大阪地検特捜部は2018年05月に一度、佐川氏ら38名全員を不起訴にしており、今回の判断はその流れを決定づけるものといえるでしょう。
編集部としては、この結末を単なる「無罪放免」と捉えるべきではないと考えています。刑事罰には至らなかったとしても、公文書が改ざんされ、国有地取引の透明性が失われたという事実は消えません。政治や行政への信頼を取り戻すためには、法廷の外でも徹底的な説明責任が果たされるべきではないでしょうか。捜査が終わったからといって、私たちの監視の目を緩めてはならないのです。歴史の目撃者として、この教訓を胸に刻む必要があるでしょう。
コメント