日本の歴史を紐解くと、将棋という遊戯が古くから人々の心に深く根付いていたことが分かります。古くは平安時代の公家や僧侶たちの間で嗜まれており、それは「新猿楽記」や「明月記」といった当時の文学作品や日記にも克明に刻まれています。囲碁に比べるとルールが明快で、一局にかかる時間も短いという特性があったからでしょうか、室町時代を過ぎるとその熱狂は下級武士へと広がり、江戸時代には庶民の娯楽として不動の地位を築きました。
将棋のルーツは、古代インドの盤上遊戯「チャトランガ」であると言い伝えられています。駒の構成を眺めてみると、王を筆頭に騎馬や象、戦車を模した兵たちが並んでおり、まさに盤上の戦争そのものです。戦国時代を象徴する足利義昭や豊臣秀吉、徳川家康といった名だたる武将たちもこのゲームをこよなく愛しておりました。彼らは高級な駒を特注しては、目の前の盤上で静かに、しかし激しく軍略を練っていたに違いありません。
反骨の絵師が描く「判じ物」と幕府の影
今回ご紹介するのは、幕末に異彩を放った天才絵師、歌川国芳が1843年(天保14年)に手がけた「駒くらべ盤上太平棊」です。この作品はいわゆる「判じ物(はんじもの)」と呼ばれる錦絵の一種で、絵の中に隠された意味を読み解く謎解きのような要素を備えています。画面の中では、将棋の駒たちが勇ましく鎧を纏い、まるで本物の武士のように合戦を繰り広げる姿が活き活きと描き出されており、観る者を圧倒します。
しかし、単なる擬人化された絵と受け取るのは早計かもしれません。国芳は権力に抗う「反骨の絵師」としてその名を轟かせていた人物です。この合戦図の裏には、当時の社会情勢に対する痛烈な風刺が込められていると推測されています。実は、同時期に出版された「将棋合戦」という作品が、武家による無届けの出版物として幕府から発禁処分を受けており、本作もまた販売中止の危機に晒されていたという緊迫した背景があるのです。
当時の日本は、老中・水野忠邦による「天保の改革」の真っ只中にありました。庶民に厳しい倹約を強いる一方で、思うような成果が上がらない現状に対し、街の人々の間には不満が渦巻いていたのでしょう。SNSのような即時性のあるツールがない時代、浮世絵は情報の最前線でした。幕府の焦りと庶民の批判精神が、盤上の駒を借りて静かに火花を散らしているようです。現代の感覚で言えば、まさに「炎上覚悟の社会派アート」と言えるでしょう。
私個人としては、国芳のこうした「遊び心」に隠された強固な信念に強く惹かれます。厳しい検閲という壁を、ユーモアと芸術性で乗り越えようとする姿勢は、いつの時代も表現者が持つべき尊い資質ではないでしょうか。単なる伝統芸能としての将棋ではなく、当時の人々の熱い視線や政治への皮肉が凝縮されたこの一枚は、1843年という激動の時代を映し出す貴重な鏡となっているのです。
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