2019年06月、東京・千代田区の帝国ホテルで、日本バスケットボール界の歴史を塗り替える劇的な瞬間が訪れました。千葉ジェッツに所属する富樫勇樹選手が、日本出身選手として史上初めて年俸1億円に到達したことを発表したのです。167センチと小柄な体躯でコートを支配する「ポイントガード」の彼は、数多のカメラのフラッシュを浴びながら、この大台突破を感慨深げに語りました。司令塔として日本代表を牽引する彼ですら、Bリーグの誕生なしには、これほどの夢を叶えることは不可能だったと確信しています。
2016年に産声を上げた男子プロバスケットボールリーグ「Bリーグ」は、競技を取り巻くマネーの流れを劇的に変化させました。昨シーズンのB1における1試合平均の観客数は3,078人を記録し、リーグ発足前の2015年度と比較して65%もの驚異的な伸びを見せています。さらに驚くべきは、クラブやリーグ、代表戦などを合算したバスケ界全体の総収入でしょう。かつての105億円から303億円へと、わずか数年で3倍近くまで膨れ上がっており、文字通り「稼げるスポーツ」へと変貌を遂げたのです。
どん底の「暗黒時代」から始まった奇跡の再生劇
しかし、ほんの数年前まで日本のバスケ界は、まさに「暗黒時代」の真っ只中にありました。男子代表は1976年のモントリオール大会を最後にオリンピックの舞台から遠ざかり、2006年に日本で開催された世界選手権でも24チーム中20位と惨敗を喫します。大会後には13億円もの巨額の赤字が露呈し、その負担を巡る日本バスケットボール協会内の内紛は泥沼化しました。その結果、日本オリンピック委員会から資格停止処分を受けるという、前代未聞の不祥事にまで発展したのです。
国内リーグの分断も、混迷に拍車をかけていました。2005年に協会と決別した「bjリーグ」と、実業団主体の「NBL」が並立する分裂状態が続き、ファンの心は離れる一方でした。業を煮やした国際バスケットボール連盟(FIBA)は2014年秋、ついに日本協会へ制裁を科す決断を下します。これにより、日本代表チームが国際試合を行うことすら禁止されるという、選手たちにとって最も残酷な事態に陥ったのです。この絶体絶命のピンチが、結果として改革の「黒船」となりました。
FIBAが突きつけた制裁解除の条件は、分裂した2つのリーグを統合することでした。協会は全理事が辞任して組織をゼロから再構築し、2015年には初代Jリーグチェアマンとして知られる川淵三郎氏を会長に指名しました。バスケ界では門外漢であった川淵氏でしたが、かつてJリーグを立ち上げた際の圧倒的な突破力を発揮します。彼は「独立法人化」や「5,000席以上のホームアリーナ確保」をチームに義務付け、反対派の実業団幹部を飛び越えて親会社の役員に直接交渉を仕掛けるという、まさに「剛腕」を振るいました。
「リアルスラムダンク」第2部が今、アリーナで加速する
SNS上では、富樫選手の1億円突破に対して「夢がある!」「子どもたちが目指すべき場所ができた」と称賛の嵐が巻き起こっています。Bリーグ事務局長の葦原一正氏は、FIBAによる外圧と川淵氏の手腕、そのどちらが欠けてもこの成功はあり得なかったと振り返ります。1990年代にバスケブームを巻き起こした漫画『SLAM DUNK』。その劇中では古びた体育館が舞台でしたが、今の選手たちが躍動するのは、光り輝くアリーナです。改革を経て、日本バスケの新たな歴史が今、最高の形で動き出しています。
かつての混乱を知る一人として、現在の盛り上がりには目を見張るものがあります。競技の統合やプロ化がいかに難しいかは他競技の歴史を見ても明らかですが、バスケ界はそれを「外圧」というピンチをチャンスに変えることで成し遂げました。富樫選手の1億円は単なる給与の額ではなく、日本バスケの「価値」そのものが認められた証です。八村塁選手のようなスターが世界で暴れ、国内ではBリーグが熱狂を生む。この熱気は、さらに多くの少年少女をコートへと誘うに違いありません。
今後、日本代表が国際舞台でさらなる躍進を遂げるためには、Bリーグのさらなる安定と熱狂が不可欠となるでしょう。次はどのような若き才能が、富樫選手に続く「億越え」の夢を掴み取るのでしょうか。その挑戦を、あなたも一緒に応援してみませんか?
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