2019年10月07日、日本中が涙し、激しい憤りに包まれた「目黒区女児虐待死事件」の裁判員裁判において、事態は大きな節目を迎えました。東京都目黒区で船戸結愛ちゃんが命を落としたこの悲劇的な事件で、保護責任者遺棄致死などの罪に問われている義父、船戸雄大被告に対し、検察側は懲役18年という極めて重い刑を求刑したのです。
検察側は論告の中で、結愛ちゃんが亡くなるまでの約1カ月以上にわたり、日常的な暴行に加え、満足な食事も与えられない凄惨な飢餓状態に置かれていた事実を克明に指摘しました。この冷酷な所業を「比類なく悪質」と断じた言葉には、幼い命がどれほど無念であったかを代弁するような重みがあります。
「保身」が優先された悲劇と法廷での告白
裁判の焦点の一つとなったのは、なぜ救えるはずの命が放置されたのかという点です。雄大被告は法廷で、結愛ちゃんの容体が悪化していると気づきながらも、自身の虐待が露呈することを恐れて病院へ連れて行かなかったと述べました。「保身の気持ちが強かった」と語るその言葉からは、親としての責任感よりも自己都合を優先させた歪んだ思考が透けて見えます。
ここで問われている保護責任者遺棄致死罪とは、幼い子供や高齢者など自分一人では生きていけない人を守るべき立場の者が、必要な保護や医療措置を怠り、結果として死に至らしめた場合に適用される重い罪です。今回のケースでは、救助の機会が幾度もあったにもかかわらず、大人のエゴによってその扉が閉ざされてしまったといえるでしょう。
SNS上ではこの求刑に対し、「18年でも短すぎる」「失われた命の重さを考えてほしい」といった悲痛な声が次々と投稿されており、事件の凄惨さが人々の心に深い傷を残していることが伺えます。幼い子供が「あしたはもっとできるようにする」とノートに綴っていた健気な姿を思うと、周囲の大人や社会の仕組みがなぜ機能しなかったのか、悔やまれてなりません。
編集者としての立場から言わせていただければ、この事件は単なる一家庭の悲劇ではなく、社会全体が向き合うべき重い警鐘です。子供を「所有物」として扱うような支配的な態度は断じて許されません。2019年10月15日に言い渡される予定の判決が、結愛ちゃんの無念にどこまで寄り添い、虐待抑止への強いメッセージとなるのか、日本中が注視しています。
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