2012年に大阪・ミナミの繁華街を震撼させた、あまりにも凄惨な無差別刺殺事件。通行人2名の尊い命が理不尽に奪われたこの事件は、現在も多くの人々の記憶に深く刻まれています。殺人罪などに問われている礒飛京三被告(44歳)に対し、最高裁第1小法廷は2019年11月1日までに、注目の判決公判を2019年12月2日に開くことを決定しました。
今回の最高裁の動きで最も注目すべき点は、二審の結論を変更するために不可欠な手続きである「弁論」が開かれないことです。法律の専門的な解釈に基づくと、弁論を経ないということは、死刑を言い渡した一審の裁判員裁判を破棄し、無期懲役を選択した二審判決の結論がそのまま維持される公算が極めて高いことを意味しています。
司法の判断が分かれる「死刑」と「無期懲役」の境界線
ここで改めて、一審と二審でなぜ判断が分かれたのかを整理してみましょう。一審の裁判員裁判では、市民感覚を反映した結果として、犯行の残虐性から死刑が選択されました。しかし、控訴審(二審)では、過去の類似事件との公平性を重視する「量刑相場」という考え方が優先され、結果として無期懲役へと減刑されています。
「量刑相場」とは、過去に裁判所が下してきた同様の犯罪に対する刑罰の重さの基準を指します。SNS上では、この二審判決に対して「裁判員制度の意義が失われているのではないか」「被害者の無念を思うとやりきれない」といった憤りの声が数多く上がっており、司法のあり方そのものについて国民の間で激しい議論が巻き起こっています。
私個人の意見としては、市民の感覚を取り入れるために導入された裁判員制度が、過去の判例という厚い壁に阻まれてしまう現状には強い違和感を抱かざるを得ません。もちろん法的な安定性は重要ですが、命の重さを天秤にかける判断において、あまりにも形式的な基準に固執しすぎることは、遺族の救済や社会の処罰感情を置き去りにしてしまう懸念があるのではないでしょうか。
いよいよ2019年12月2日、最高裁としての最終的な審判が下されます。今回の判断が今後の日本の司法制度、そして死刑制度の運用にどのような影響を与えるのか、私たちは静かに、しかし厳しくその行く末を見守る必要があります。
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