2011年12月、当時のプロ野球界に激震が走りました。IT企業であるDeNAが球団を買収し、横浜ベイスターズの舵取り役として送り込まれたのは、わずか35歳の若きリーダー、池田純氏だったのです。彼が初めて足を踏み入れた球団事務所は、たばこの煙が充満し、パソコンも普及していないという、現代のIT企業とはかけ離れた光景でした。
当時の球団経営は、売上高52億円に対して赤字が24億円という、まさに崖っぷちの状態にありました。観客動員数も収容人数の半分ほどに留まっており、池田氏は自身の使命を「これは野球ビジネスではなく、困難な企業再生案件である」と確信したそうです。ここから、常識を打ち破る彼の孤独な戦いが幕を開けることとなりました。
池田氏が掲げた「企業再生」とは、破綻しかけた組織を立て直し、再び成長軌道に乗せるプロセスのことです。彼はまず徹底した現場主義を貫きました。2012年1月31日、春季キャンプを翌日に控えた選手たちの前で、彼は「全試合を満員にする」という壮大な夢を熱弁したのです。その本気度は、社長自らがグラウンドで球拾いを行う姿にも表れていました。
この改革は、ファンからも「今までのベイスターズと何かが違う」と大きな期待を寄せられ、SNS上でも大きな話題となりました。監督を務めていた中畑清氏の力強いバックアップもあり、観客動員数は買収から5年で76%も増加するという驚異的なV字回復を成し遂げます。しかし、池田氏が描いた真の改革には、避けては通れない「聖域」がありました。
それは、本拠地である横浜スタジアム、通称「ハマスタ」の買収という至難の業です。球場を自前で運営できなければ、収益構造の抜本的な改善は望めません。池田氏はハマスタの重鎮である球場運営会社の鶴岡博社長の懐に飛び込み、地元の催事や飲み会では末席で世話役に徹するなど、若手としての誠意を見せ続けました。
「横浜の魂を安売りはできない」と頑なに拒んでいた鶴岡氏でしたが、最終的には池田氏の情熱に折れ、「おまえだから売るんだ」と買収を認めます。しかし、2016年10月に池田氏の退任が決まると、鶴岡氏は激怒しました。それは期待の裏返しであり、二人の間には単なるビジネスを超えた、父子のような深い信頼関係が築かれていた証拠でもありました。
2016年の瀬、ジャズバーで鶴岡氏は池田氏に「前だけ向いて生きろ」という最期のメッセージを託しました。翌年、鶴岡氏はこの世を去りましたが、池田氏が手帳に書き留めたその言葉は、今も色褪せることはありません。一人の若き経営者が守り抜いた「横浜の魂」は、今日も満員のスタジアムで響き渡る歓声の中に生き続けています。
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