東京国際映画祭2019を総括!新人発掘の成果と「映画祭の理念」を巡る切実な課題

第32回東京国際映画祭が幕を閉じ、最高賞である東京グランプリにはデンマーク映画『わたしの叔父さん』が輝きました。2019年11月12日現在、映画ファンの間では受賞結果への祝福と共に、この映画祭が歩むべき未来についての熱い議論が交わされています。チャン・ツィイー氏率いる審査委員団が選んだのは、酪農を営む叔父と姪の日常を淡々と、かつ繊細に描いた新鋭フラレ・ピーダセン監督の長編第2作でした。

今大会の大きな特徴は、全14本のコンペティション作品のうち、長編第1作や第2作といった若手監督の作品が半数を占めたことです。新人発掘という面では確かな足跡を残しましたが、一方で作品の質にはバラつきも見られました。ベネチア国際映画祭など他の主要映画祭ですでに上映された作品と、世界初公開となる作品との間に「力の差」が感じられた点は、今後の大きな課題と言えるでしょう。

ここで「コンペティション」という専門用語について解説します。これは、映画祭が選出した優れた作品群の中から、審査員が最も優れた作品を選び、賞を授与する「競技部門」のことです。映画祭の顔とも言える部門であり、ここにどのような作品を並べるかによって、その映画祭が世界に対してどのようなメッセージを発信したいのか、つまり「理念(フィロソフィー)」が問われることになります。

SNS上では、受賞作の瑞々しさを称える声がある一方で、「東京国際映画祭は何を目指しているのか見えにくい」という手厳しい意見も見受けられます。ラインアップ発表時に山田洋次監督が「フィロソフィーを持ってほしい」と訴えた通り、独自の立ち位置を確立できていない現状に、多くの映画ファンがもどかしさを感じている様子がタイムラインからも伝わってきます。

一人の編集者として意見を述べさせていただきますと、映画祭の価値はキャッチコピーではなく、上映される「作品のリスト」そのものに宿るはずです。芸術性と娯楽性の調和を掲げるのは業界向けの言い訳に過ぎず、世界に通用する発信力を手にするためには、例えば「新人の登竜門」として完全に特化するなど、より大胆で根本的な理念の再構築が必要なのではないでしょうか。

2019年11月12日の今日、私たちは改めて映画という文化の豊かさを噛み締めています。若き才能たちが東京で見せた輝きを一時的なものにせず、世界中の映画人が「東京を目指したい」と思えるような、一本芯の通った映画祭へと進化することを切に願います。作品を通して世界と対話する、そんな強固な意思を持った映画祭の姿を、次回の開催でも期待して待ちたいと思います。

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